地底海に眠る

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「自分の課題」に向き合うことの大切さ

最近ネットニュース記事で小出恵介さんを見かけて、この人本当に表情が明るくなったなあと感じました。小出恵介さんといえば過去に未成年との性行為が週刊誌に取り上げられて大きな騒動となったことでいわば失脚というような印象になった方ですが、当時の騒動はよく覚えています。

細部までの再現は難しいですが、週刊誌側の報道と、ネットで調べ上げられた詳細が、ひとつの同じ出来事のはずがまったく違う様相を呈していて。当時はそれこそ「ネットで真実」が盛り上がっていた時期で、まあネットも誤爆が多いんですがこの件に関しては見事に真実を浮き彫りにしたと感じましたね。

要するに彼はいわゆる半グレといわれるような人間と親しくしていて、飲みの場に女をアテンドしてもらっていた。そして彼が未成年と性行為をしたいと希望し19歳のシングルマザー女性と性行為、その後この件を週刊誌に売られたくなかったら金を払うようにと半グレからゆすられ、それを断った為に週刊誌に半グレなどの後ろ暗い事実を隠し捻じ曲げられて報道されてしまった。という風に私の中では記憶しています(当事者ではないので断言できるわけではありませんが)

結局のところ、半グレと付き合っていたことや、女性をアテンドしてもらっていたこと、未成年との性行為を執拗に希望していたことなど、彼自身の問題は明らかで、これは週刊誌がろくに取材もせず一方的な言い分をセンセーショナルに書き散らして金を稼ぐという問題とはまた別の話です(いわゆる課題の分離)

小出恵介さんはドラマ「Nのために」で見たとき、なんとなくこの人いやな表情するなと思った印象があって。なんとなく裏がありそうな棘のある顔つきをしている気がしたんですね。

それが先月のネットニュースで写真を見たら、とても明るくていい表情をしていると感じまして(まあ私の勝手な印象に過ぎないんですが)

この人は「自分の課題」にしっかりと向き合い、克服したのだろうという風に思いました。そして今きっと彼は幸せを感じているのだろうなと。

 

ネット社会になって週刊誌報道とネットリンチが過激化していることもあり、何か物事が酷く混乱してしまって物事の収集がつかなくなっているような気がするんですが、絡まりあった細い鎖を丁寧に解しながら外していくような、いわゆる課題の分離というのはとても重要な思考で、ひも解いていくとやはりその人一人ひとりに「自分の課題」というものがあるんですよね。

私は虐待育ちで反応性愛着障害を自認しており、とにかく人間関係が非常に苦手なんですが、はたでみていると群れている人たちは相手の「悪」の要素を「みんなそうだ」とか「それくらいあってあたりまえ」「悪い奴のほうがおもしろい」という感じで、むしろ悪を指摘したり嫌悪したりする人間が群れからハブられるもんだよな~と思います。

犯罪や加害行為でも「群れの仲間」は「やってもいい」「咎めるやつはうるさい」みたいな感じでかばうんですよね。

法律もおかしなものもあるかもしれませんが、一応筋が通っていることについてで考えれば、その法律に反しているのは自分たちであって、うるさかろうが自分らが勝手にやっていいと決めようが、結局は社会的にも法的にも裁かれることになるし、結局その代償を払うのはその人なんですよね。

反社会的な逸脱行為や加害行為を行う人は必ずと言っていいほど「被害者意識」「自己憐憫」「自己正当化」「他責他害」の思考回路を持っていて、フロイトの指摘する「例外者」の特徴があります。

例えば過去のつらい経験とか何かしらの辛い出来事を大げさに語って、自分は可哀そうな被害者なのだから犯罪を犯しても例外として恩赦してほしいとか、自分は被害者だからそれくらいの権利があるというような、自分は法律や倫理に裁かれない特権があるはずだという考え方をもっているんですね。

こういう認知の歪みがあると、周りの仲間が「お前は悪くない」とか「悪いのは世間だ」というような無責任な迎合をすることで、例外者の認知の歪みが補強されてますます意固地になり、自分の課題、自分の責任に向き合うことが出来なくなります。

そしてそういう状態であり続ける限り、被害者は生まれ続ける(これは直接的な被害者だけでなく社会全体で見たときの新しい加害者が生まれる可能性も含めてです)し、本人も生きづらいだけなんですよね。いくら友達が「お前は悪くない」とか「やっていい」「それくらいみんなやってる」とか言ったとしても、その友達は法律を変えられるわけでもないし、恩赦を与える権限もないし、罰の身代わりになってくれるわけでもない、そのうえ被害者のことも知ったこっちゃない。こんな無責任な人間あり得ないと思いますw

 

人間て完璧じゃないのでやはりやらかしてしまうことって誰にでもあるとは思うんですが、それが深刻な場合やはり大きなトラブルや生きづらさを巻き起こしてしまうので、どうしても「自分の課題」に向き合う必要性があると思うんです。自分を変えられるのは自分だけなので、そこに気づけて辛くてもきちんと向き合うことが出来た人は過去を克服することが出来ると思うんですよね。

人間って造作の美醜とかではなく、表情、顔つきに人間性ってよく現れると思うんです。スキャンダルを起こした人って自身の課題に向き合わないまま無理にメディアにでてもそれが表情や目に表れている感じがする。まだ傷ついているなとか、この人不貞腐れているなとか。

何か問題を起こしたとしてもそれで人生終わるわけではなく、もちろんこれからも生きていかなければならないわけで「更生」というのは、これから生きていくために「自分の課題」に向き合い克服することなんだと思います。

心が痛いからといって、そこから逃げることのほうが多分余程生きづらい。

「支える」とか「助ける」というのは本人に責任逃避させて逃がしてやるとか、悪いことを自分勝手にやっていいんだと肯定するとか、知らんぷりするのではなく、その人が道を踏み外さないように、嫌われたりもめたりすることを恐れずに、それってまずいと思うよって指摘するべきことはすることなんじゃないかなと思います。本当に信頼関係がある人でないとそういう関わり方は難しいのかもしれませんが。