地底海に眠る

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愚痴や悪口ばかり言っている人は人生めっちゃ損してる。

いつも愚痴や悪口ばかり言ってる人っていますよね。

「辛い気持ちに寄り添って欲しい」「アドバイスは要らないからただ聞いて欲しいだけ」「(友達なら/パートナーなら)黙って聞いて共感してあげましょう」という記事などをよく見かけますし、勿論大切な人が苦しんでいる時は、温かい飲み物を入れてあげて、傍に寄り添って、何があったのか、辛い気持ちをありのままに聞いて受け止めてあげることは関係性の中で非常に大切で、お互いがともに豊かに幸福に生きるためにはとても重要なケアの一つとなります。

しかしながら口を開けばいつでも愚痴や文句、悪口ばかりで楽しい話が一つもない。何度も何度も同じことを言い続けている。執念深い。ネガティブで恨みがましい。ねちねちしている。怒りっぽい。いつも同じ話なのに涙を浮かべて感情たっぷり。問題に緊急性が無い、或は既に終わったこと。解決を望んでいない(過去にすることが出来ない)。妄想が暴走している。段々話が盛られていってない?

こんな感じの人、いますよね。正直一緒にいるとうんざりしてしまいます。

今日はどうしてそうなってしまうのか、損する理由、解消するにはどうしたらいいのかについて深堀したいと思います。

そもそも人間の記憶は正確ではない

ビデオカメラや録音とは異なり、人間の脳はそもそも事実を正確に記録することに重きをおいていません。

事故や事件の目撃証言などの聞き取り調査や、認知心理学の実験などでいくらでも分かる通り、人の記憶というのは曖昧ですぐに忘れてしまい、またその時の心理状態や思い込みで主観的に歪んで捉えており、後から書き換えられてしまうことも少なくありません。

実はギフテッドと呼ばれるような特殊な才能に秀でている人の中には、記憶がビデオカメラで記録したかのように非常に克明でかつ全く忘れないという人も存在します。そうであっても無意識な記憶の改ざんはゼロではないし、更に記憶が克明であることで、今目の前の現実と頭の中での思考の区別が曖昧になってしまい、覚えている必要の無い情報で記憶が溢れかえり、忘れることが困難で、大変生き難く、とても苦しんでしまうそうです。

認知症の高齢者が今さっきのことは全く覚えていないのに何十年も前のことをやけにしっかり覚えていてまるで今のことのようによく話すようになる話はよく知られていますが、おそらく人間の脳はこのギフテッドの方のように情報を記憶すること自体は出来るのだろうと思います。しかし先ほども言った通りあまりにも克明だと現実と記憶の区別がつかなくなったり不必要な情報で溢れかえって生活に困難が生じる為に、記憶を要不要に篩い分けて不要な記憶は「思い出さない」のではないでしょうか。ギフテッドの方や認知症の方などは脳機能の何らかの問題からそのバランスが崩れてしまっているではないかと思うのです。

長期記憶は情動記憶

殆どの記憶はすぐに忘れてしまう短期記憶であり、長期記憶は強い感情と結びついた情動記憶です。ドーパミンによる高揚感や、偏桃体による強い喜びや悲しみなど、感情が揺れ動いた時に海馬を通じて長期記憶となり、大脳皮質に記憶されずっと忘れないものになります。

人間の脳は本来膨大な量の情報が記録可能であると言われていますが、生きる上で膨大な量の情報を正確に記録する必要性はありません。人間が記憶するのは「生きるために必要」とされるもので十分なのです。その為、ドーパミン分泌は「何かいいものが手に入りそうだ」という情報の有用性を示し高揚感と共に記憶されるし、偏桃体の不安や悲しみは、同じ目に合わない為の学習、防衛本能として強く記憶に刻まれるわけです。

感情を司る偏桃体と記憶を司る海馬は隣接しており、不安障害を持つ人は海馬の記憶が偏桃体を強く刺激してしまうという報告があります。つまり過去の記憶が偏桃体を不必要に刺激し、強い不安感や悲しみなどの感情を感じてしまうということ。

そして、記憶は感情と共に思い出す度に、その感情がより強く増幅されて記憶に上書きされていきます。

中年~高齢者の人が「最近の音楽は覚えらえない。昔の音楽は良かった」と言うのをよく耳にすると思いますが、その「昔は良かった音楽の記憶」は技術や功績等の客観的なデータに基づく情報ではなく、多感な時期の感情や高揚感と結びついた個人的な青春の思い出の記憶だったりします。

若いころに比べて何かに感動することが無くなった。わくわくするようなアイデアを思いついたりチャレンジしたりしなくなった。頑固になった。こういったものは脳の老化によるものです。早ければ40代から、MRI画像で分かるほどはっきりと前頭葉の萎縮がはじまり、放置しておけばどんどん進行していくのだそう。

そういう人が新しい映画や音楽に触れても「つまらない」「感動しない」、若いころの情動記憶を思い出しては「昔は良かった」というんですね。本当に「昔は良かった」のは、音楽や映画ではなく自分自身の脳の感度の方だったりするわけです。

怒りや恨み、強い悲しみや不安などのストレスはストレスホルモンのコルチゾールを分泌させる

コルチゾールは慢性的に分泌過剰になると、動脈硬化骨粗しょう症、免疫力の低下により感染症やがんにかかりやすくなる、海馬にダメージを与えて記憶力や認知機能が低下する、脂肪をためやすくなり肥満になるなど、身体や脳の老化や病気の要因となります。

フィンランド大学の研究では、世間や他人に対する皮肉・批判度の高い人は認知症のリスクが3倍、死亡率が1.4倍も高く、批判的な傾向が強いほど死亡率も高まったとのこと。

フロイトが指摘する「例外者」について

愚痴や悪口、攻撃性が強い人というのは、根底に劣等感や被害者意識を抱えています。この「被害者意識」の強い人をフロイトは「例外者」と呼んでいます。

例外者とは「自分は不公正による不利益を被った被害者なのだからそれを埋め合わせる特権を与えられてしかるべきだ」「自分には例外を要求する権利がある」という思い込みを持つ人のことを指しています。

人は少なからず何か人よりも「特別扱い」されたいとか、悪いことをしても「見逃して欲しい」というような、卑しい願望を持っているものではあると思います。しかしそういった卑しさが人一倍強い人というのがいて、フロイトはそうした性質の強い人を「例外者」と分類しています。

この被害者意識というのは犯罪や逸脱行為、他害行為を行う人間は100%持っている性質で、非常に人間をクズにするのですが、愚痴や悪口ばかり言っている人というのは、それを聞かせる相手に対して「自分はこんなに可哀想な被害者である」というアピール、それによって他者からの同情や共感、配慮を要求してるんですね。

被害者意識というのは裏返しの特権意識なのです。

依存行動と感情の集団感染

愚痴や悪口、攻撃というものはドーパミンやアドレナリンなどを分泌させて、強い興奮や執着を生み出します。いつも愚痴や悪口を言っている人は、それが依存行動となっている可能性が高いです。

職場やネットなどでいつも芸能人や周りの誰かのことを愚痴ったり悪口を言ったりしている人達は必ず複数人のコミュニティを作り上げ、その中でエコーチェンバーしながら妄想が暴走していたりします。

これは人間の脳内にあるミラーニューロンの働きにより、人と人の間で感情が反響し合う→共感性によるものです(ミラーニューロンはネガティブだけでなくポジティブ含めた様々な感情に共感性を示します)。

ネガティブな感情、嫉妬、愚痴、悪口、妄想、ストレスは、周りにいる人に感染し、それを見たり聞いたりするだけで共感性により同じようにコルチゾールドーパミンなどが分泌されて身心に影響を受けるのです。

それはネガティブな絆となってSNSや職場に必ずいる「意地悪で嫌な集団」の爆誕となります。暇さえあれば給湯室や喫煙室、ヤフコメや2ちゃんねるなどでぐちぐちぐちぐち永遠に人の悪口を言い続けてるあの連中のことです。

人間は同じレベルでつるみます。

シンプルにモテない

愚痴や悪口ばかり言っている人は、一緒にいる人にとっては話していてもつまらないし、脳が老化して映画や音楽を聴いても感度が悪く文句ばかり、血管年齢が老化して肌や髪の毛も状態が悪いし、不健康そうで、しかもネガティブな感情を感染させてくるのでストレスを感じたり人間関係が悪化したりするリスクがあり、人としての魅力がありません。共感性にねっちり依存して配慮を要求し、ぶら下がってくる人は大変「重い」です。端的に言えば不細工でデブで不健康で性格が悪いんです。モテません。

また逆にそういった強い他者依存が、性行為や金銭を目的とした異性などにつけこまれて、性的加害行為や暴行、詐欺などに遭遇するリスクも高まります。

人生は思っているよりずっと短く、時間は有限である

子供の頃に比べて、大人になると一年一年があっという間に過ぎてしまいます。40代ともなると過ぎ去る時間の早さに驚くとともに、果たしてあとどれくらい健康で生きていられるのだろうかなんてことも考えることが増えます。私たちの人生は有限です。人間は100%死ぬ運命にあります。

その残された限りある時間を、過ぎ去った過去の辛い記憶、悲しい記憶、許せない誰かへの怒りで浪費するのって、ものすごく勿体ないと思いませんか?

しかもそうやって反芻すればするほどその記憶は今まさに起きたことのように鮮明になり、増幅されたネガティブな感情と共に上書き保存され、永遠に反芻する負のループにとらわれてしまう上に、ストレスホルモンによって肥満や老化など見た目や健康状態にまで悪影響を及ぼすのです。

愚痴も言いたくなることはもちろんありますし、もやもやして悪口の一つも言いたくなることもあります。人間は完璧ではないし、綺麗ごとだけでは生きていけません。

ネガティブな感情を抑圧することは自殺にまでつながる危険性もあり、決してネガティブな感情を押し殺せと言っているのではありません。

ネガティブなこと、ショックな出来事があった時はひとまずそれにとことん向き合う

何か嫌なことがあった時、ショックな出来事があった時、失敗してしまった時、私はそれを言語化して出来事を客観的に把握し、そこから有用な情報を抜き出して整理します。何故このトラブルは起きたのか、相手の問題、自分の問題、次は気を付けるべきこと、そういったものが整理できると、脳が納得してその出来事を「終わり」にすることが出来るんですね。脳が必要としている生きるための学び/情報は記憶され、感情は反芻する必要が無くなります。

そういったことをノートに書きだす事を「ライティングセラピー」と言います。

これは自分の置かれた状況や情報を整理して把握するのに大変有用です。

過ぎ去ってしまったことは忘れる

大抵のことは過ぎ去ってしまった過去となり、もう今の自分や未来の自分を脅かすものではありません。なので綺麗さっぱり忘れてしまって構わないのです。嫌な人とは縁を切ってしまって構いません。何の問題もない。

しかし何故かずっと恨みを忘れず、ずっと愚痴や文句を言い続ける人がいます。

この心理はフロイトが指摘する「例外者」に当たるもので、これは結構厄介です。何故なら「あの時あなたは私にこんなひどいことをしたんだ」といつまでも恨みつらみを忘れないのに、積極的に関わってくる人というのは「相手に損害賠償を請求している」からです。

その「裏返しの特権意識」は相手を責めることで「特別な配慮」や「謝罪」「賠償金」「お詫びの金品」を獲得するための働きかけを行います。

この欲望に取りつかれている人は、おそらく過去の出来事を手放す事は出来ないでしょう。

時間は有限であり、限られた時間をどうつかうか

過ぎ去った嫌なことやつらい感情を反芻してくよくよめそめそしてるより、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、軽い運動をしたり、コーヒーや美味しいスイーツを食べたり、大好きな人と楽しいひと時を過ごしたり、ペットとコミュニケーションをとったり、旅行に出かけたり、趣味を楽しんだりしている方が100倍楽しいですよね。限られた時間を無駄に過ごすなんて勿体ないです。人生はあっという間。そんな暇ありません。