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かなり分厚い本ですが、分かりやすくユーモアを交えて書かれておりとても読みやすい本でした。
科学者の多くは、人間は特別な存在であり、動物に人間のような心の機微や情緒を(ナラティブに)感じるのは感傷的であって全く科学的でない、というスタンスが主流な気がするけれど、それはおそらくキリスト教の「人間は神を模倣して作られた特別な存在である」という宗教思想から来ている誇大妄想なだけで何の根拠もないのではないかと思う。
そもそも何故脳細胞が集まると「自我」や「感情」や「思考」が生み出されるのかも分かっていない。
地球の全ての生き物は遡れば「LUCA」という単細胞生物の共通祖先に辿り着く。
バナナと人間は遺伝子の50%を共有しており、遡ると真核生物の共通祖先に辿り着くし、非常に高い知性や情緒があり「コーダ」と呼ばれる音による社会的なコミュニケーション手段も持っているクジラとは約一億年前に共通祖先が存在していると言われる。
仲間の死を悼み葬儀のような行動もとる象とは約9000万年前に共通祖先がある。
ネズミも同じ白亜紀くらいに共通祖先がある。
人間は物を作り出す天才だが、それ以外の部分、特に「社会性」や「情緒」「共感」「分かち合い」「民主主義」「言語」「コミュニケーション力」などは他の動物と大きく異なる特性とはいいがたいのではないかと思ったりする。
「社会性」とは何か
社会性が強いとされる生き物の代表格は「アリ」や「ハチ」などだが、アリやハチ、(ゴキブリの一種である)シロアリ等の個体一匹一匹にはおよそ知性と呼べそうなものはまったく見出すことが出来ない。個体は全体を把握する力も無いし、何かリーダーがいて目的に応じた指令を受けて組織的に動いているわけでもない。ただ身に起こる小さな刺激に個々が反応することで全体的に見ると種として組織的に統率されているかのように見えるだけ。それを「自己組織化」という。
夢ナビ講義 | 夢ナビ 大学教授がキミを学問の世界へナビゲート
↑ 人間の細胞も自己組織化が行われる。
古代のイヌのがん細胞は、こうして現代に生き延びて“伝染”する:英研究チームが見た「特異な進化」の秘密 | WIRED.jp
↑ 私がめちゃくちゃ気になって仕方がない古代イヌの感染するがん細胞の話。
つまり、地球に生きている全ての生物は元は同じ単細胞生物だった。単細胞生物は分裂して増殖していきコピーが無限に出来るので理論上「寿命」が無い。単細胞生物が分裂を外部にしていくのに対し、多細胞生物は内部で分裂(人間も元は一つの卵細胞から分裂していく)し、ホルモン等の刺激で差別化・役割分担が出来て自己組織化して、命に限りある一つの生命体として活動する。
多細胞生物の細胞は、古代イヌのがん細胞のように単細胞生物のように振る舞うことは理論上可能であり、他の宿主に感染を繰り返しながら永遠に生きることも出来る。
人間は一塊の一生物として活動するが、シロアリなどは巨大な巣の中に胃袋(シロアリはベジタリアンだが植物のセルロースが消化できない為採集した植物を肥料にキノコを栽培し、そのキノコを食べるのだそう)や、生殖器(女王はひたすらに卵を産むだけの器官と化す)などが存在しており、同じDNAを持つ親族で運営されて、巣全体が一つの生命体のように振る舞う。
何故なのかは分からないが、地球の生き物は皆「自分の遺伝子」を未来に繋げることを目的に生きている。自分の遺伝子を次世代に伝えられる可能性の高さのことを「適応度」という。そしてそれは自分という個体そのものの遺伝子で無くても構わない。つまりシロアリは子供を産む担当は女王のみとなっているし、その他の働きアリたちは繁殖能力を持たない(或いは卵を産んでも孵ることは殆ど許されない)が、共有する遺伝子が多ければそれは自分の子孫であると認識される。「包括的適応度」。
ちなみに同性愛者は普通恋愛による性行為で子供を作ることが出来ないが、社会性の高いゲイは姉妹の子供を一緒に育てる傾向が強く、その一族全体で子供の数や生存確率が高いという話も。これは包括的適応度の一種といえる。
社会性とは「自分の遺伝子を次世代に繋ぐ為」にその種が獲得した自己組織化の一種の形態であり、人間だけが特別に持っている優れた力というわけでは無い。
ネズミが持つ共感力
ネズミやラットはよく研究に使われ結構むごい目に遭わされているイメージが強い。
白人は「イルカは知性があるから食べてはダメ」「クジラもダメ」最近は「タコもめちゃくちゃ賢いから食べちゃダメ」などと言っているが、知性があれば食べてはならないが、知性が無ければどんな目に遭わせても構わないのだろうかと疑問に感じる。
本の中でもネズミが温かい共感性を垣間見せるエピソードが語られている。
自分が暖かく乾燥した心地よいねぐらにいるとして、もしそのねぐらの前を濡れそぼって惨めな気持ちでいるネズミが通りかかったら、そのネズミが赤の他人であってもネズミは自分の温かい乾燥したねぐらに迎え入れるのだという。
しかもそれはそのネズミの個人的な体験による判断で、自分も過去に同じような惨めな気持ちになったことがあるネズミほど、そうしたネズミに対して同情的に振る舞い助けてあげようとするし、何の苦労もしていないネズミほど他者への同情心をみせないのだとか。
また、以前にどこかで読んだ記事で、研究者は実験の為にネズミを訓練するが、よく訓練されてやるべきことを完全にマスターしたネズミが時々指示通りに動かず、思索行動を行うので研究者はイライラしてしまうというエピソードが語られていた記憶がある。このような思索行動=知的好奇心こそ知性そのものではないのか?と思ったりする。
AIと人間の違いとはというのが最近ホットな話題のように感じるが、AIと人間の違いとはまさにこの「知的好奇心」や「思索行動」なのでは?と思う。AIは大規模言語モデルから次にくる確率が最も高い言葉を選択するパターンマッチで文章を出力している(そのためハルシネーションが起こる)。AIには「もしもこうしたらどうなるのか?」という知的好奇心や、その仮定を実行、観察、検証を行い、データベースにない新しい答えを創り出す能力は無い。そしてその根源となる「知的好奇心」は、人間だけでなくネズミも持っているのだ。
スイミーの誤謬
国語の教科書でスイミーのお話を読んだことが無い日本人はあまり多く無いだろうというくらい有名なお話で、この話が大好きだという人も多いと思うのだが、スイミーが群れる理由(固まって泳ぐことで大きな魚のように見せることが出来る)は、おそらく事実ではなさそう。
捕食されやすいイワシなどが何故群れるのか。群れれば非常に目立つ存在となり捕食動物が集まってきて狙われやすくなる。
しかし目立った特徴の無い同じ見た目の生き物が多数集まり、襲われた時に滅茶苦茶に動き回ると、それだけで捕食動物は狙いを定めることが難しくなって狩りの精度が非常に落ちるのだそう。
単独でいると狙いを定める精度が上がり簡単につかまってしまう。群れでいると狙いを定めるのが難しくなり、逃げられる確率が高まる。
スイミーで例えると、一匹だけ色の違うスイミーはこの戦法が通用しないということになる。他の個体と異なるはっきりした目印があると捕食者は狙いを定めやすくなる。
社会性を獲得した生き物たちは「高い知性」で協調しているのではなく、群れにいること自体が生存に有利だから群れているというわけだ。
「安全基地」とは何か
社会性がある生き物についての話には必ず「人は社会性のある生き物」であり、人間は一人では決して生きていけない。そして幼少期に不適切な育てられた方をした人間、つまり愛着障害持ちは、大抵犯罪者とか精神疾患とかになって、人生が詰むのだという話を繰り返し聞かされる羽目になる。
救済の方法も示されないし、防ぐ方法とかも別に書かれていない。
しかし不適切な育てられ方は子供がそれを望んで選んだわけではないし、そんなことを言われたところで回避のしようもない。
人間の6割くらいの人は安定した愛着スタイルを持ち「安全基地」を持っているのだという。ちなみに浮気や不倫をしたことが無いと答える人達も6割程度いるらしい。
愛着障害持ちは自己愛性パーソナリティ障害や反社会的人格障害などと同じ分類にぶち込まれて、クズとみなされがち。なんだか納得がいっていないのだが、兎に角どうやら愛着障害持ちは「安全基地」を手に入れなければまっとうな人間にはなれないらしい。
人間嫌いで愛着障害持ちの私は、その「安全基地」とやらを幸福の青い鳥のように探して歩かなければならない羽目になる。
しかし見渡す限りドブカスばかりの人間たちの中で本当に6割もの人間がそんな幸福の青い鳥を手に入れているのか疑わしいとも思っている。私から見ると人間の8割はキチガイでまともそうに見えるのは精々2割くらいじゃないかと思える。
それが愛着障害持ちの認知の歪みなのだろうか。
なかなかピンとくることが無かった「安全基地」について、この本では具体的に語られる描写がある。
トリアー社会的ストレステスト=被験者に人前で短いスピーチをしてもらい唾液中のコルチゾール濃度からそのストレスの度合いを測る実験。その際にそばに恋人やパートナーがいるだけで、ストレス度合いは大きく軽減されるのだそう。
そしてそれは男性にとって女性のパートナーがいる方がストレスの緩和度は大きく、女性にとって男性のパートナーがいることがストレス緩和になるかどうかは個人差が大きいらしい。
哺乳類は特にメスが妊娠出産子育ての性的負担が大きく、安全に子孫を産み育てる為には群れによる社会的な保護が必要となる為、メスの方が社会性が強い傾向が高い。女性ホルモンが社会的認知力を高め、男性ホルモンは性欲と攻撃性を高めるともいわれる(ちなみに女性ホルモンも男性ホルモンも男女ともに作用しており、個人的な気質は性差より個人差の方が大きい)
一方でオスは近親交配を防ぐためにも群れを離れて血縁関係の無い群れに交配相手を探しに行かなくてはならない。血縁関係の強い群れ社会の絆より、血縁関係の無い間柄で関係性を築いたり、争ったりする必要がある。
メスは血縁関係を主軸に社会的な群れを作る。オスは遺伝子を残す為にオス同士で争い合い、過酷な自然淘汰の中で短命になることが多い。
種は全体で見ると均一で明確な特徴があるが、個々を詳細に見ると個体差が大きい。
何かちょっとしたストレスが感じられる状況下で、そばに信頼するパートナーがいて、彼・彼女は自分の味方だと疑う余地も無く、そして身を寄せ合い手を取り、握っていてくれる。「安全基地」とはつまりただそれだけのことだということが分かる。
社会性のある哺乳類は身を寄せ合ったり親切にし合ったりすることで愛情ホルモンが分泌される。人間の場合「オキシトシン」などがそれで、特に女性に多いと言われる。
私は残念ながらあまり良い環境で育ったとはいいがたいが、生まれる前から家で飼われていた犬や猫がいた。白い雑種の雌の犬で、立ち上がると小柄な女性ほどの大きさがあり小さい頃の私にとってはとても大きな犬だったが、とても愛情深い犬だった。
別に何かしてくれるわけでなくても、ただお互いにお互いを信頼していて、そばに寄り添いぬくもりを感じるだけでストレスレベルが大きく緩和される。青い鳥を外に探しに行かなくても、私はそれをちゃんと知っていた。
人間はだいぶキチガイだが、犬や猫が群れの一員として傍に寄り添って無償の愛とはどんなものかを子供の私に教えてくれていた。
本の中でも、おそらく群れから弾かれた背中が湾曲した奇形のバンドウイルカが、種の異なるマッコウクジラたちの小さな群れ(母親とその子供たち)に交じって暮らす姿が描かれている。哺乳類の中には非常に愛情深い個体がいて、種が異なるはぐれた子供を我が子と分け隔てなく愛情を注ぐケースが見られる。そのおおらかさはとても微笑ましく、また頼もしくも感じる。
猿のカースト制度
象やクジラなどの群れのリーダーはメスで、マトリアーチと呼ばれる。人間でも女性は何故長生きが多いのかという疑問に対して「おばあちゃん仮説」というのがあるが、象やクジラなども聡明なメスの年長者がリーダーとなり群れを率いている。干ばつの時どこに行けば水があるか、困難に見舞われた時にどのように切り抜けるか、聡明なマトリアーチがいるかいないかで群れにいる子供たちの生存確率が非常に大きく異なるのだそう。
一方で人間とかなり近い種であるヒヒやチンパンジーやボノボなどは、マトリアーチのような聡明なメスのリーダーは存在しないようだ。
母系社会であることは変わらないが、ボノボは上下関係が無いが、ヒヒやチンパンジーはヒエラルキーがある模様。
人間のカースト制度でさえ、動物と人間を分ける差異とはならない。猿の群れの中でむしろカースト制度は群れの秩序をある程度保つ為の非常に原始的なやり方だったことが分かる。序列があることで物理的に争いが減るのだ。
カースト制度が無く知らない他者とも友好的にコミュニケーションをはかろうとするボノボの方が、かつての人間より余程文化的かもしれない。
動物も嘘をつく
ゴリラのココは子供の頃からトレーナーに手話を教え込まれ、手話でコミュニケーションを取ることができる。ココは猫が欲しいと言い、ぬいぐるみなどでは納得しなかったので、とうとう12歳の誕生日プレゼントとして野良猫をペットとして飼うことが許されるようになる。ココは子猫をとても大事にして愛情を注いでいた。
ある日ココは機嫌が悪かったのか、部屋の流し台を破壊して壁から外してしまう。トレーナーがそれを見つけて叱ると、なんとココは「猫がやった」と、罪を猫に擦り付ける嘘をついたのだそう。
自分が罪から逃れる為の嘘をつく行為でさえも人間の専売特許という訳では無いのだ。
嘘をつく手段があれば、動物も嘘で叱責から逃れようとする。
カルフーンのネズミ都市
人間は少死少産・多死多産で、死にやすい過酷な環境では死を上回る子供を産み、安全で死ににくい環境では少子化になることで、バランスを取っている可能性が高い。
自然災害などを体験し危険性を強く感じるとその後女性は妊娠する確率が高まる。
アメリカの研究者であるカルフーンはネズミの繁殖を研究する為にネズミをひたすら膨大に増やそうと試みた。安全で食糧も十分与えればネズミは5000匹くらい増えるだろうと単純に予想していた。
しかしネズミが150を超えたあたりから、ネズミの様子がおかしくなる。
ネズミが増えて人口密度が増すほどにネズミは精神疾患を発症し繁殖能力が無くなったり、育児放棄をしたり、獰猛で暴力的になった。
そして一度精神を病んだネズミはもう二度と治らなかったという。
多くの科学的知識を持つ人たちは、人間も増え過ぎたらヤバいだろうということを漠然と考えているはずで、人間も物質的不足感や過密な人口密度によるストレスが増えると、おそらく頭の狂った人間が戦争を引き起こし殺し合いを始めるだろうことを予測しているはずだ。
自然に淘汰されて平均寿命が20歳くらいだった狩猟時代には人間は戦争はしていなかったが、農耕時代になった途端に大量殺戮が行われた形跡が残っている。
人間は手先の器用なだけの動物の一種であり、全体的に然程知性が高いとも言い難い。人口過密が精神を狂わせるネズミに起こったのと変わらないことが、人間にも起こるであろうことは想像に難くない。
社会性のある動物の群れは多くの場合民主主義である
民主主義こそは人間の優れた知性の現れだと思うかもしれないが、しかし社会性の高い動物の群れの多くは実は民主主義で運営されている。
多数決って正しいの?~陪審定理とは?~|NPO法人 Mielka
↑ コンドルセの陪審定理。
二者択一で必ずどちらかが「正解」である場合という限られた条件であれば、一人で判断するよりも、数が多ければ多いほど「正解」にたどり着く可能性が高まるという、フランスのコンドルセ侯爵が証明した数学的定理。
未来の不確実性の中では選択肢の中に必ずしも「正解」があるわけではないし、そう単純なわけでもないのだが、群れで生存確率を高める生き物たちは基本的には集合知でトラブルを乗り切っている。
長距離を飛ぶ渡り鳥なども、一匹で飛ぶ時は判断を迷いしばらく考えてから方向を決めるが、群れだと大体皆が向かう方が正解で、また飛びながら誰かが新しい情報を得て軌道修正するとそれが群れに伝わり全体的に方向が修正されて、一匹の時よりも早く正確に目的地にたどり着けるのだという。
民主主義は社会的な群れの原始的な集合知の在り方で、むしろ現代の人間社会のほうがマスコミやプロパガンダなどによって民主主義的多数決で正解にたどり着くことが難しくなっている気がする。
どうしてたくさんのイルカがうちあげられたのか? 長崎県壱岐市石田町筒城仲触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
何等かの要因で判断を誤り打ち上げられたイルカのように、人間も間違った情報を得て多くの人が判断を誤るような混乱が起きやすくなっている。
多数決のようでありながら、特定の人間の思想が強い影響力を持ち、純粋な多数決ではなく、実際は正解にたどり着く可能性が低い少数の人間が判断しているのと同じ状態になってしまっている可能性。
自然主義的誤謬
強い欲望や有害な衝動を「本能」だとして自己正当化に使う人間が散見されるが、それを「自然主義的誤謬」という。
例えばライオンなどは子殺しを行うとされている。
オスは過酷な競争の中で繁殖のチャンスを手に入れるが、メスが子育て中だと新たに発情することが無い。オスはまたすぐに次のオスに戦いを挑まれて敗北するかもしれず、メスが今育てている子が巣立つのを待つ時間が無いので、すぐに自分の子を次世代に残す為には子供を殺してしまうしかない。
それは「自然だからそれが正しい」「それが良いことである」とは言えない。ただその過酷な状況の中で最適解を選択しているだけである。
サファリパークなどの人工飼育下になるとライオンの行動も大きく変化する。母系の雌の群れを作るのをやめ、オスとメスの一夫一婦性に変わる。人工飼育下ではおそらく子殺しも行われなくなる。パートナーの雌が産んだ子供は一夫一婦制では間違いなく自分の子供だし、他の雌とは交配しない。遺伝子の濃縮を避ける為に一夫一婦制で同じパートナーとだけ交配する環境下では、子殺しをする理由は全くなくなる。
環境が変われば最適解も変わる。物事を単純化して白黒や善悪で判断することは非常に幼稚な思考と言える。
動物の互恵的利他主義
チスイコウモリは夜中に寝ている動物の生き血を舐めるバンパイアみたいな生き物だが、彼らは必ずしもいつも食事にありつけるわけではない上に、三日も何も食事にありつけないと餓死して死んでしまう。その為チスイコウモリは飢えた仲間に対し、血を吐き戻して分け与える習性があるという。
しかしそれはお互い様で、自己中で他者に分け与えようとしなかった蝙蝠は仲間からも与えられることは無い。他者に分け与えない者や貰い逃げする狡い個体はいずれ誰からも助けてもらえず飢え死にするリスクが高まる。
哺乳類はオキシトシンという愛情ホルモンがあり、そのホルモンは利他的な行動を行わせるが、同時に仲間とそれ以外という排他的な区別をつける行動ももたらす。
動物の世界でも親切は伝播する。しかしそれは誰に対しても変わらないものではなく、直近の関わりの中で親切な行動をとったものに対しては、冷酷な行動をとったものに比べてより親切な行動をとる可能性が高くなる。
これは長期的な関わりがある社会的な生き物に顕著で、単なる通りすがりや、カーストの強い群れでは、貰い逃げや支配による搾取になりがちで、オキシトシンの愛着行動による互恵的利他主義とは別のものになってしまう。
三尺三寸箸(仏教)丨なぜの極楽(天国)の箸は長く地獄の箸は短いのか - 仏教辞典
仏教の教えの三尺三寸箸は、動物の世界にも存在している。
愛着障害持ちのストレス過多
幼少期に不適切な養育環境で育つと安全基地を持たない為に、学校や職場など社会的な集団行動に対して常に過度のストレスを感じて生きる羽目になる。先日血液検査をしたのだが、血小板の数値が基準値より少し高めで相変わらずストレス過多を示していた。
コルチゾール濃度なども高いのだろうと思われる。
「一病息災」という言葉もあるが、子供の頃からストレス過多で自律神経失調症や心身症(胃痛や頭痛、目眩、動悸等)に悩まされているために健康意識が高く、身体的にはかなり健康である。身体的な病気では無いのに心身が不調な為、心療内科に回されてしまう。ストレス過多をどうにかする必要があるが、ただ普通に社会的集団行動を取るだけで過剰なストレスに晒されるのだから、疲弊するし集団行動からできる限り逃げたくなる。
特に自己愛性人格障害傾向の強い有害行動が顕著な人間に関わるとストレス度はMAXになる。
理解されにくいと思うが、それで体内では慢性的な炎症が起こり免疫力が下がって帯状疱疹まで発症してしまう(非常に早く気付いた為に早期に抗ウイルス薬を飲むことができて事なきを得た)。
反応性愛着障害持ちの生きづらさは他者から理解されない。他の人たちの「当たり前」がよく理解できない。みんなは脚本をもらってどのように反応すればいいか分かっている舞台で、私だけが脚本を貰っていないように感じる。
みんなが「みんなそうだ」と主張する内容を理解することが出来ない事がとても多い。
従わないと彼らは顔を真っ赤にして怒り出す。
ヒヒやチンパンジーはカーストのある群れ社会で生きており、彼らは「正しさ」ではなく「上か下か」で判断している。
群れのヒエラルキーに盲目的に従えば争いを回避出来るが、従わないとなると喧嘩をしてどちらが強いか順位を決めなくてはならない。
弱い順位のサルは理不尽でも従わなくてはならない。上位のサルはストレスを下位のサルにぶつけることで憂さ晴らしする。理不尽によって下位の受ける強いストレスは愛着関係のある家族と寄り添うことで緩和される。
しかし私は順位の低いサルではないので、サルに挑まれたら応じて戦う必要がある。
共通の祖先を持つ霊長類の中でも同種殺しと共食いを行うのは、チンパンジーとヒトだけらしい。
人間も個体差が大きいが、特にチンパンジーに近い特性を持ったヒトは、凶暴で自己中で有害性が強い。
1度舐められるとずっとまとわりつかれて不快な思いをさせられるので、痛い目に遭わせて追っ払う必要がある。自分より下位のサルと認定されたらサンドバックにされるし、性的加害行為を受ける羽目になる。
抗うとみんなが血相変えて「抵抗するな」「事を荒立てるな」「黙って耐えろ」と押さえ込もうとして来るのも、このサルのカースト制度の「脚本」(本能)なのだろう。
凶暴なサルの群れのカースト制度は、理不尽でも我慢すればともかく殺し合わずに済むという野生のサルの知恵なのだ。
「群れに加わっていた方が生存確率が高まる(だから群れに居たい)」
「群れの秩序は正しさではなく強弱」
「理不尽でも耐えることで争いは回避される」
「群れにいるストレスは愛着関係のある親族で寄り添うことで緩和する」
「個々の頭は悪くても、多数決にするとそこそこ正しい判断ができる」
「個々は愚かだがそれぞれの反応が自己組織化して群れ全体が統治されているかのように見える」
これらは全て、人間の知性というよりは野生の動物そのものでしかない。
確かに人間は科学技術やものを創り出す力は飛び抜けて優れているが、どうもEQとか社会的認知力などはそこまで優れた生き物であるようには思えない。少なくとも動物と変わらないレベルの人間は一定数存在していると思われる。
どちらかといえばクジラやゾウの方がヒトより余程知性的ではないかと思ってしまうくらいだ。
ちなみに仕事についても、人間がずば抜けて優れているという訳でもない。牧羊犬や警察犬、盲導犬など訓練されて仕事を担う犬は非常に優れた仕事ぶりを発揮するし、アフリカではヒヒが少しの報酬を貰って羊飼いや鉄道の信号係の仕事などを任されることがあるそう。
人間もよく訓練すれば仕事を行うことができるし、人間は別に本能で仕事をこなせている訳ではない。
広い宇宙の中で知的生命体は地球にしか存在しないのか?
一体生き物とはなんだろう。なぜ遺伝子を次世代に残すという目的に囚われ続け、同じ単細胞生物を祖先とする親戚同士でこうも殺し合い食べ合う地獄の沙汰に陥る羽目になったのだろうか。
単細胞生物のままであれば無限に増殖し続けて、個の死に怯える必要も無かったはずだ。無邪気に飲み込んだり飲み込まれたりして遺伝子を繋いでいた頃は痛みも苦しみもなかったと思う。
何億年もかけて複雑になればなるほど生きづらくなる。
宇宙の星たちは地球のことを「アイツ頭おかしいよな」と思っているかもしれない。悪趣味で変わり者だと思われてそう。
私たちは痛みに苦しみ、死に怯え、遺伝子を次世代に残すことに囚われながら、一方で傷つけ合い殺し合う。絶滅を悪いことのように考え、永遠に続くことを願う。
しかし宇宙の中では星でさえ超新星爆発で死ぬし、太陽も永遠ではない。宇宙の片隅の地球という星に生きる生物が生きようが死のうがなんの関係もない。人間が戦争で自滅して滅びようが、地球が死の星になろうが、宇宙規模で見たらどうでもいいこととしか言いようがない。
宇宙にはRNAの元になるリボース核酸を持つ隕石が見つかっている。生命の元は宇宙のそこかしこにある。多分単細胞生物はそう珍しいものではなく条件が揃えば宇宙の他の星にも誕生する可能性は高い。
でもまぁこんな悪趣味なことをするのは変わり者の地球だけかもしれないなと思ったりもするのだ。






