地底海に眠る

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条件付きの愛情

毒親とか虐待などの話が他者から批判されることなく自由に出来るようになったのって実はここ10年くらいじゃないかという気がするんですが実際どうなんでしょう。

それまでの風潮って虐待育ちをカミングアウトしたり、親の問題を公の場で話したりすると「産んでもらったくせに感謝の気持ちが無い」とか「親に歯向かうなんて生意気な子供だ」とか、虐待育ちで親を批判する子供を皆で一斉にフルボッコにするような風潮が強かった気がします。実際数年前は虐待育ちをカミングアウトする本を出版した女性に対してヤフコメ民が一斉に攻撃するコメントを書き込むところを目撃していますし、他方では虐待によって命を落とした子供の事件に同情的な書き込みや虐待親への怒りを書き込むけれど、死ななかった(成長した)虐待育ちは「親に感謝できない恩知らず」或いは「虐待育ちは人格に問題がある」「大人になると虐待親になる」といったレッテル貼りや偏見、差別が依然として感じられます。

 

虐待って命にかかわるような身体的な暴力だけでなく、精神的に追い詰めたり、不適切な教育や支配だったりすることも多いので、暴力や食事を与えないなどの身体的な暴力や拷問で死んだケースだけが虐待で、子供が生き延びたらその親はいい親ってわけではないんですよね。

子供の頃の不適切な養育が子供のこれからの人生に及ぼす悪影響って非常に大きなものだし、親のせいにするなとか自己責任とか安易にいう人いるけれど、お前人追い詰めることしか言えねえんならせめて黙ってろやこの役立たずとしか言いようがありません。

親からの条件付きの愛情の中で育てられた人の歪み

一見して虐待とは思われないようなことの中で最も大きな悪影響があるのって、親から「条件付き」でしか愛されなかった子供じゃないのかなと思います。そしてこの条件付きの愛情の中でしか生きることが出来なかった人って実は結構多いんじゃないかと思うんです。

「手がかからないおとなしい子だから愛する」「成績が良いから愛する」「親の信じる宗教を受け入れて従うから愛する」「いい高校・大学に行き大企業に入社したから愛する」「親の夢を継いで叶えてくれたから愛する」

そうじゃない子供は愛されない。

確かに親は子供を産んで育てる立場であり、遺伝子をある程度共有している存在ではありますが、しかし親と子は別個の人間、別個の人格であり、子供は親のおもちゃでも自分の欲求を満たす為の道具でもありません。

しかし子供は養育者である親に命を握られているので、親から愛されることが生き延びる為の重要な要素です。親に愛されない子供は身体的虐待や育児放棄によって文字通り殺される危険性が高い。

本来親の役割って子供が生きやすく生きられるように、自立できるように「手助け」するものだと思うんですが、「こうあるべき」を押し付ける毒親によって人生乗っ取られてしまって、自分が無い、自分の人生を生きられない人って結構いると思うんですよね。

反抗期もその人によってケースバイケースですが、こういう子供の人生を乗っ取って憚らないような支配的な毒親に対しては、子供が反抗期に逆らうというのが非常に大きな分かれ道となっていて、そこで親の支配から逃れることが出来れば親と疎遠になる代わりに自分の人生を自分で切り開くことが出来るけれど、反抗期が無かった場合大人になってもずっと毒親とべったりしていて親に乗っ取られた人生を歩み続けることになる。

不適切な養育は子供の人間関係にも悪影響を及ぼす

世間を賑わせたガーシー(東谷義和)っているじゃないですか、あの人の母親の話で、とても気になったことが一つあって「息子はおおらかで優しい子で、動画で人を攻撃している姿はいつものあの子ではない。怖くて蓋をしてしまった」というようなことを言っているんですよね。

実際にその人がやっている悪い点や行いについて「これは本当のあの子ではない」「あの子はそんな子じゃない」「あの子は優しい子だ」という言葉って、一見親が子供を信じて愛しているように見えるけど、実際はその子供の本当の姿を直視できず否認して、自分の理想の子供の幻を愛しているだけなんじゃないのって思うんですよ。

人間って完璧な人は存在しないので、誰でもいいところもあれば悪いところもありますよね。でも上辺だけ親の理想の子供を演じて嘘をつくだけで、親が満足してくれて幻の愛情が注がれるとしたら、その子供はどう育つんでしょうか。

表面上、親の望む進路を選択する、親の望む子供の役割を演じる、親が喜ぶウケのいい振る舞いをする、親の信じるものを否定せず受け入れて従う、親がやれといったことをやる。

そうすれば親は満足して子供を愛します…でもその裏ではガーシーのように親の知らない悪い言動があるとしたら?

子供が持つ二面性

教育の話でよく言われるのが「家ではわがままなのに、外ではいい子」という子供は全く問題ないが、「家ではとてもいい子なのに、外で問題を起こす」という子供は非常に危険だというものです。

子供が外でしっかりと社会的な言動が出来るのは、親自身がそういう振る舞いをすることで子供は親の姿を見て学んでいるからなんですよね。一方で外の世界で頑張ってきてストレスも感じるし疲れを感じたりもするからこそ、家では親に甘えてわがままやだらしないところが出てしまう。それはとても健全な当たり前の姿だからなんの問題もないそうです。

しかし、家では親の望む通りのいい子ちゃんなのに、親が見ていないところでの先生や友人との関わりでは、わがままや攻撃性や嘘をつくなど問題行動が目立つという子供がいて、そういう子は親の「条件付きの愛情」しか与えられなかったり、理想の押し付けが酷過ぎたり、親が子供に無関心だったりすることで愛情不足となっていて、親が子供にとっての社会での適切なふるまいの見本になっていなかったりする(子供に対して問題のある親って大体社会的なふるまいも傲慢だったり非常識だったりする)、要は不適切な養育環境や親の問題が背景にあると指摘されます。

条件を満たせば愛される?

人間て自分の問題を自分で見つけられる人って多分あんまりいないと思うので、子供の時とかは親や学校の先生から(或いは大人になっても職場や人間関係から)の問題行動の指摘やフィードバックって結構重要なことだと思うんですが、その伝え方次第で相手に対する働き方って大きく違うと思います。

なかなか難しいものではあるんですが「あなたのこの行動はこんな問題を巻き起こしているよ」と相手に問題行動の自覚を促したり、改善を促したりすることと、「自分はこういう人間が大好きだから、こうなりなさい。こうしなければ嫌いになる。こうしたら愛してやる」という伝え方では、受け取る側の気持ちは天と地ほども異なってしまいますよね。

前者は自分自身の問題として捉えることが出来ますが、後者は相手の愛情を受け取るかもしくは攻撃されるかの二者択一を迫られているのだと捉えられてしまいます。

ていうか、「こういうことをする人間は嫌いだが、自分の理想の振る舞いをするなら愛してやる」なんて言えるほど、愛情って自由自在じゃないと思うんですよね。それって単なるエゴであり、他者を支配して自分に媚びさせて満足するという自己愛を満たしているだけであって、他者への愛情ってそんな風に自由自在に出したりひっこめたり出来るようなものじゃないでしょう。そんな風に条件次第でちらつかせてる時点で偽物でしかないんですよね。

勿論客観的視点からのフィードバックはありがたいもので、例えば優しくないとかドSだとか言われれば、確かに相手を追い詰めすぎてしまったかもしれないなとか、人を傷つけてしまったなと反省する気持ちはありますが、条件付きの愛情の部分についてはぶっちゃけ「愛されなくっても別にEー!」でしかないです。

条件付きの愛情って、自分の思い通りに振る舞うなら愛するよという、こちら側からすると「他人軸」の押し付けであり、自分の思い通りにならないなら愛さないよというのは害を与えることをちらつかせている恫喝でしかないんですよね。どちらにしても別に私にはメリットが無い。関わらない方が面倒くさくなくて自由でいいなとしか思いません。

条件付きの愛情って結局愛情じゃないんですよね。だから条件付きの愛情で育てられた子供は「愛情不足」になると言われる。

そう。相手が突き付けてくる条件を満たしたからといってその結果もらえるものは愛情ではないんです。それは相手がエゴを満たしているだけに過ぎないから。

そして問題点の指摘やフィードバックを行うのは、その問題と愛情は別問題であって、そこがあるから罰して愛さないと言っているわけでもないし、それを治したらコロっと気が変わって溺愛しますよと言っているわけでもないんです。ただ、問題点を指摘してるだけ。

人間てそうそう簡単に変わることは出来ないので、一朝一夕で欠点が簡単に治るわけないですし、急に目に見えて改善できたと判断することも難しい。

相手が完璧だから愛するわけでもないし、欠点があるから愛さないわけでもない。自分の望む通りに振る舞えば嫌いだった相手を愛せるわけでもないし、自分の望む通りに振る舞わないから好きだった人を急に嫌いになるわけでもない。

繰り返しますが、問題行動のフィードバックと愛情は別の話です。問題行動が治れば愛するのにとは言っていませんし、問題行動を改善したからといってそれだけでいきなり愛することは私には出来ません。

条件を突き付けている時点で愛情なんかないくせに、まるであるかのようにちらつかせるなよって思いますし、別にそもそも愛されなくても別に全然困らないです。

愛情と執着の違い

子供が自立して自分の人生を自分の足で歩み、親から離れて一人になっても上手くやれて幸せになって欲しいと望むのは愛情ですが、子供にいつまでも過干渉して親の支配圏から出ることを許さず、子供が親に頼ることでしか子供が幸福になれない状態を望み、親がいなければ上手くいかないに決まっていると呪うのが執着です。

ありのままの相手を傍にいても離れていても信頼して温かい気持ちを感じるのが愛情で、相手が自分の理想通りに振る舞い自分に敬意を払って自分に気を遣わなければ怒りを感じ許せないのが執着です。

ちなみに自分の好みじゃないとか好きじゃないと思えば、興味ないか嫌いになり関わり合おうとしないのが普通の状態であって、誰かを嫌ったり無関心だったりする感情自体は誰でも持つものだと思います。しかし、思い通りにならない相手を思い通りにさせよう、自分の好みじゃない相手を自分の好みに変えようとするのは普通じゃありません。それが執着であって、そんなものは愛情でもなんでもなく嫌悪じゃね?と思うのです。

人間関係って難しいので、ハリネズミのジレンマのようにお互い知り合おうとして近づきすぎると傷つけあってしまったりします。

場合によっては自尊心やプライドを傷つけられたりもすると思いますが、そこで憎しみがわいてきて相手を攻撃したり嫌がらせをしたり、或いは条件をつきつけてこうしなければ愛さないぞと脅したりしてる時点でもうそれは愛でも恋でもなく、嫌悪や憎悪だと思うのです。

人間って地球上に80億人いるので、恋愛にしろ友人関係にしろ、関係性が上手くいかない相手にそこまで執着する意味って無いんですよね。相手に怒りや憎しみを感じて攻撃したり支配したりするくらいなら、もっと自分にピッタリくる相手を他に探したほうが余程いいですよね。

怒りを感じる相手にこだわってしまうのは相手への愛情があるからではなく、自分のメンツを保ちたいからではないのかなと。

相手を愛しているのではなく、自分を愛しているだけなんですよね。

 

ガスライティングについて

ガスライティングという言葉をご存じでしょうか?

1938年に制作された「ガス燈」という、夫が悪意ある嫌がらせや嘘などによって妻を精神的に追い込んでいく精神的DVが描かれた作品が由来となって出来た言葉で、海外ではガスライティング行為は罰金や懲役刑に処されることもある重大な犯罪の一つと定義している国も存在します。

しかしガスライティングは客観的に明らかな暴力や暴言、犯罪行為とは異なり、分かりにくい陰湿な嫌がらせを繰り返す行為なので、客観的に立証することが難しく、多くの場合法的に訴えても証拠不十分で無罪になるか、もしくは被害者側が自分が受けている被害についての言語化や立証が難しい為に、誰にも相談することが出来ず我慢し続けて心身ともに疲弊するということになりやすく、多くの場合泣き寝入りするしかないのが現状のようです。

具体的にどんなものかというと、例えばちぐはぐな言動で被害者を混乱させたり、細かい嘘をついたり、過去に行った言動を全く無かったことであるかのように意図的に否定して被害者を混乱させたり、褒めた後に突然けなしたり、被害者が孤立するように仕向けたり、周囲に対して加害者側が被害者で被害者側が加害者であるかのように思わせる言動をしたりと、非常に悪質で陰湿なねちっこい嫌がらせを続けるのです。

 

こういうことをする人間の特徴は、ナルシストでプライドが高く、自分が正しいと思い込んでいて、自分に対する批判や問題点の指摘を許容できない、自分の過ちを認められないし反省も出来ないという人格的特徴があると言われています。

しかしその実内心では強い不安感や他者への依存心などを抱えており、理想自己と現実自己の乖離による、理想の自分の姿を認めない相手への怒りや復讐心、また相手を周囲から孤立させて支配しようとする強い依存心などが動機であると指摘されます。

私も実は「これはガスライティングでは?」と感じるような言動をされたことがあります。口では優しい言葉を言ったり、愛情を伝えるのですが、非言語の情報発信によって客観的には分からないような形で怒りや別れなどをにおわせてくる。そしてこちらがそれをうけて距離を置いたり、怖いのでやめて欲しいと伝えても無言でスルーし、しばらく経つと自分がしたことをまるで無かったかのように振る舞いはじめ、また優しい言葉や愛情を伝えてくる。こちらが相手にしなかったり怒ったりしていると、泣いたり懇願したり遜ったりして、客観的に見るとこちら側が悪者で、向こう側が被害者のように見えてしまう。

ガスライティングはそのちぐはぐな言動や細かい嫌がらせについて加害者本人も無自覚に行っているケースが多く、意図的にやっているとは限りません。しかし加害者側から被害者側への強い執着や、関係性が思い通りにならない怒りや不満があることは確かです。

個人的には常日頃から細かい嘘をついて人を騙して自分を良く見せようとするようなタイプの人間が、ガスライティング行為を行いやすいのではないかと思います。

加害者が被害者側に執着しており、加害者側にとって関係性が満足するものではないから、ガスライティング行為のようなネガティブな嫌がらせ行為を(意図的か無意識かに関わらず)行うようになるので、本質的には距離を置いて離れることでしか逃れることは出来ないと思います。そういう意味ではストーカーやモラハラと同じ感じです。

ちなみに被害者の殆どは女性だと言われますが、関係性は恋愛やパートナー関係だけでなく、家族や、職場や施設、学校や部活などの集団組織の中でも起こる可能性があるものです。

なかなか客観的に分かりにくく、立証も難しいものではありますが、実情を知らない第三者が口をはさんで、加害者側を嫌悪したり怒ったりしている被害者を「優しくない」とか「冷たい」「酷い」などと批判すると、被害者側は「おかしいのは自分の方かも」と思うようになりより追い詰められてしまうことになるので、手助け出来ないのであればせめて安易に断罪するようなことはしないように気を付けて欲しいと思います。

目立つ暴力や暴言や分かりやすい嫌がらせと異なり、ガスライティング行為はもやもやとした嫌な感覚やストレスが継続的に続く状態に晒されます。

基本的には自分の感覚に素直に従い、嫌だなと感じたら離れるということで構わないと思います。他者に理解してもらったり、法的に裁いてもらうとかよりも、物理的にきっぱりと離れられるなら離れてしまってもう二度と関わらないということで構わないと思います。

「私が酷いのかも」とか「あんなにいい人そうに見えるのに疑う私が悪いの?」とか「周りからみたら私は冷たい人間だと思われているかも」とかもやもやするより、嫌いだし、全然幸せじゃないから離れます、でいいのです。

自分の人生を心地良くするのは自分の権利であって、他人は何もしてくれません。

不快だな、楽しくないな、気味が悪いなと思ったら、即座に離れて身を守る。人間として当然の権利だと思います。

 

劣等感について

人は優越性を求め権力を得ようとする

これはアドラーの言葉なんですが、アドラーは人間には劣等感や欠落感があって当たり前で、それを補おう高めようとする(優越性を求める)気持ちは、人が成長する上で不可欠なものであると認めています。

こういう健全な劣等感や欠落感というのは自分を客観視する必要性がありますので、実はある程度頭が良くないと持てない感覚でもあったりします。逆に知性や能力や経験などが未熟な人間ほど自分の能力を過大評価する傾向がある=ダニングクルーガー効果というのもあり、知性があり視野が広く世の中を知っている者ほど、自分はまだまだ学びの途中であると謙虚で、知性が低く未熟であるほど幼稚な万能感を抱えて自分はすごいと驕り高ぶるというのは様々なところでよく指摘されるものですよね。

自分はまだまだ未熟で知らないことが沢山あり、今は学びの途中であるという考え方は、新しいことを知る喜びや、成長していく楽しみがあるので、人生が楽しく刺激的になります。

しかしその劣等感にはそういう健全なものと、逆に人生や人間関係においてマイナスの作用をもたらす不健全なものとがあります(アドラーは優越コンプレックスと呼んでいる)。

例えば一昔前に黒縁の大きな伊達メガネをするファッションが流行していましたよね。「これをかけると頭がよく見える」とか言っている人がいましたが、むしろあれかけてる人めっちゃ頭が悪く見えましたw。

お分かりだと思うのですが、頭が悪いというコンプレックスに対して、少しでも学ぼう教養を身に着けようとするのが人を成長させる健全な劣等感の作用であり、伊達メガネで上っ面だけ胡麻化そうとするのが不健全な劣等感の作用なわけです。

例えば「本当に頭がいい人と、そうじゃない人の違い」というような話題でも、頭が良いとみられたい人というのはわざと難しい言葉や専門用語などを連発して自分は頭がいいのだと相手に思わせたがるが、本当に頭がいい人は相手が理解できるように平易な言葉で相手に的確に伝わるように話をすると指摘されます。

小手先の嘘や偽り、こけおどしが目に付く人ほどその裏には実は強い劣等感ゆえの優越コンプレックスが隠れているというわけです。

2:6:2の法則

私は努力とか根性とか大の苦手なので、ぶっちゃけ自分の好きなことしかしません。でも得意なことや好きなことを楽しみながら積み重ねていくことでその分野においてのスキルアップや結果が得られるならそれでいいと思うんです。多様性の世の中なので、凸凹の無い完全な球体を目指す必要は全く無い。これは苦手ですが、これは得意です、というので別にいいと思うんですよね。

ところが本当は本なんか読まないのに、まるで本を沢山読んでいるかのように法螺を吹いたり、本当はあまり賢くないのに小手先の嘘や偽りで知性があるかのように見せかけたりすると、それを見た人は「この人は本を読むのが好きなんだな」とか「この人は知性が高そうだな」という風に判断しますよね。そうすると「本好きとか、難しい話する人は苦手だわ」という人は離れていってしまうし、「知性的な人と会話を楽しみたい」という人はそういう会話を期待して接してくるようになる。でも少し関われば小手先の嘘なんてすぐにばれてしまいます。結果として近寄ってきた人からは「期待外れだな」とか「全然楽しくないな」とがっかりされたり「騙された」と嫌われたりすることになるし、もしかしたら「難しい話は苦手」とはじめの印象で離れていった人の中に、本当に気が合う人がいたかもしれないわけです。

いわゆる2:6:2の法則というやつで、多様性の世の中ですから、どんな人間でも2割には好かれ、6割は無関心、2割には嫌われてしまう。だからこそ劣等感から本当の自分を偽るのではなく、ここは苦手だけどこれは得意だよとか、自分はこういう人間ですよと正直に自己開示して素の部分で気が合う人を探した方がいいんですよね。

また、もしも好きな異性の気を惹きたいなどの理由があるのだとしたら、嘘や偽りで相手を騙すのではなく、本当に本を読んだり、学んだりする努力をするべきだと思います。見せかけの姿と実態があまりにも違いすぎたりすると、不信感や恐怖心で恋愛どころじゃありませんからね。自分の目的の為に相手を騙すというのは人間性を疑われる行為です。

強い劣等感による自己欺瞞

私の人間嫌いに拍車をかけたトラウマ級の女の子がおりまして。

たまたま家が近く、小学校の入学時点で席が前後ろだったというだけの縁で、小中と友人関係だったのですが、ものすごい上から目線で人を見下してくる性格の子だったんですね。いじめっ子とは違うのですが、例えば自分の優れたところと相手(私)の劣ったところを比較して優越感に悦んだり、悩みや愚痴に対して「またぁ?本当にダメだね!」と嘲笑したり「もっと頑張りなよ!辛いのは皆一緒だよ」とか、兎に角関わると鬱にさせられるコミュニケーションしかしてこない人で、こちらも全然楽しくないのですがあちらからはめちゃくちゃグイグイ関わってくる。そしてことあるごとに「〇〇(私の名前)には、私がいないとダメなんだから」と。

実は彼女は非常に他者に対して依存心が強く、その裏返しとして「この子は劣ったダメな子で自分はこの子に必要とされている」という妄想の中で生きている子だったんですよね。

ただでさえ崩壊家庭の虐待育ちでしんどいのに、そんなんに四六時中粘着されてるんだから学校でも超しんどい。ストレスで心身ともにボロボロでした。

高校あたりで縁を切ったんですが(周りの子に私のテストの点数を聞きまわったりとか完全にストーカー化してた)、大人になってから連絡がきたときには震え上がりました。どんだけ私に執着してるのって。

着拒にしてつながりのある子たちにも連絡先や住所などを教えないでとお願いし、ようやく完全に縁が切れましたが。(その子の親も飼っている犬がうるさいからと口を輪ゴムで縛り付けその跡がくっきりと残っているような虐待を日常的に行う人間で人格に問題があることは間違いないと思います)

こういうタイプの人間て結構少なくない気がするんですよ。

執着している相手を見下し、自分は優れていて相手にとって必要な存在であると思い込むことで優越性を保とうとするという誇大妄想。本当はそうではないという現実から逃げる為の自己欺瞞。強い執着心や依存心、劣等感の裏返しなんですよね。

芸能人や有名人は週刊誌報道やSNS、出版物などによって、経済強者が孫ほどの若い異性と恋愛関係になるような姿を垣間見ることがあります。経済的、社会的に成功していても健全なパートナー関係を築いている人も沢山いると思いますし、経済格差があったり、歳の差婚や歳の差恋愛がダメだとも思いません。でも、中には明らかに経済力や社会的後ろ盾を目的に近づいてくる若い男女や、そういう相手をどこかで見下しながら性的搾取する経済強者の図式がある組み合わせもあると思うんですよね。

歳の若い異性をやたら獲得しようとするのは、自分自身の加齢や性的魅力に強いコンプレックスを抱えているからであり、世間にトロフィーを見せびらかす為の承認欲求であって、相手本人との恋愛を純粋に楽しんでいるわけではない。だから相手に対してリスペクトも無く、内心どうせ財産目当てだろうと分かっているので、信頼もしていない。

リスペクトも信頼も持てない相手に恋愛感情なんて果たしてもてるんでしょうか。相手を未熟だと見下し、この未熟で幼稚な存在には自分のような偉大な人間が必要であると優越感に浸るのは恋愛なんでしょうか。少なくとも私は尊敬できない相手との恋愛は無理だなと思います。

実態は経済目当てで性的にこびへつらう卑しい人間と、表面上の見栄や欲を満たす為のつまらない人間関係で財産や時間を浪費しているに過ぎませんよね。相手を見下しているつもりでも、そういう人間とそういう関わり方しか出来ないのであれば、見下した相手は鏡に映った自分の姿でしかありません。

こういうのも優越コンプレックスの現れじゃないかと思うのです。

人は成長することが出来る。欺瞞は成長を阻むものでしかない

人間て完璧な者はいないので、アドラーの指摘する通り誰でも劣等感や欠落感て多かれ少なかれ抱えるものであると思います。そして先にも述べた通り、別に完璧を目指すべきだとも思っていません。

でも劣等感や欠落感からの回避、或いはなんらかの目的の為に、人や自分を騙して偽ることってすごく不健全で闇が深い行為だなと思うんですよね。

人は色々と経験を経ることで成長していくことが出来ると思うのですが、優越コンプレックスから問題を無いもののように振る舞ったり、欺瞞や嘘や偽りで胡麻化したりし続ける限り、絶対に成長することは無いと思います。

人間て学び続ける姿勢がある限り、中年でも高齢者でも成長していくことが出来ると思うし、学ぶ姿勢を失ったら若者であってもそこから前に進むことは出来なくなってしまうと思う。

泣きわめいたところでカラカラの心に恵の雨は降りません。

言葉にしたこと、自分がやったこと、そしてやるべきことをやらなかったこと。全て自分の元に結果として顕れる。

問題は他人ではなく自分の中にある。自分を直視すること、自分を客観視することが大切だと思います。

人に執着したり、人に何かを求めるより前に、まず自分自身の問題に向き合う必要がある。たった一度きりの自分の人生をどう生きるか。これからの可能性として。

泣けば面倒みてもらえたのは赤ちゃんの時だけです。他人は自分の面倒を見させる為の奴隷ではありません。見下しにせよ、遜りにせよ、不健全な関係性は空気が澱んで清浄さとはかけ離れた不潔なものでしかありませんよね。

アレルギーを引き起こす油の話

この時期、花粉症に悩まされている人も少なくないと思いますが、普段何気なく口にする食べ物によっては、花粉症やアトピー、アレルギーなどを発症するリスクが高まることをご存じでしょうか。

アラキドン酸が過剰になると

アラキドン酸は肉や魚などの動物性の食べ物に多く含まれ、またリノール酸を原料に体内でも生産することが可能な為、極端な食事制限など余程のことをしなければ不足することは無いとされる脂肪酸です。

このアラキドン酸は脳の発達や認知機能に必要なもので、また免疫機能を調整する役割もあり、必要不可欠な栄養素である一方、過剰摂取によってガンや動脈硬化、アレルギーを引き起こすことが明らかになっています。

食の欧米化が進むことで日本人のアラキドン酸の摂取量は過去50年で4倍にもなっていると言われます。その上オメガ6系の油の摂取によるアラキドン酸の体内生成によってアラキドン酸が体内で過剰になっている可能性が。

また、リノール酸やアラキドン酸は体内で酸化しやすく過剰摂取で炎症を引き起こします。

アラキドン酸の原料となるリノール酸が含まれる食材

代表格はサラダ油(原料は油菜、綿実、大豆、ごま、サフラワー、ひまわり、とうもろこし、米、ぶどう等)です。その他、ベニバナ油ゴマ油、コーン油、グレープシードオイル等にも多く含まれます。

リノール酸の過剰摂取というと外食や揚げ物ばかりとかスナック菓子やチョコレートというようなイメージがありますが、サラダにかけるドレッシングだったり、大豆や、くるみ・アーモンド等のナッツ類等、健康やダイエットに良いとされるものにも多く含まれる為、健康意識が高くても知らず知らずに過剰摂取になりやすいです。

とはいえアラキドン酸の含まれる動物性食品や大豆やナッツなどはやはり健康には欠かせませんから、調整するなら調理に使用する油やドレッシングを控えたり、異なる油を利用する方が望ましいですよね。

調理油ならオリーブオイル、ドレッシングはアマニ油やエゴマ油がおすすめ

オリーブオイルは70~80%がオレイン酸で、リノール酸含有量が10%以下。加熱しても酸化しにくいと言われているので、揚げ物や加熱調理に向いています。抗酸化作用があり、リノール酸やアラキドン酸のような体内での炎症を起こしにくいといわれます。ただし過剰摂取は冠動脈疾患のリスクを増大させるので、使用はサラダ油の代替として最小限にとどめておいた方がいいです(オリーブオイルは高いですしね)。光にあてないように気を付けて、開栓したら2、3か月で使いきるようにすると品質が保たれます。

ふるさと納税でもオリーブオイルの取り扱いあるんですね)
亜麻仁油エゴマ油などのαリノレン酸はオメガ3系の必須脂肪酸ですが現代人は不足しやすいと言われています。αリノレン酸は体内でDHAEPAに変化し、免疫反応の正常化=アレルギー予防、認知症・高血圧・動脈硬化・脂質異常・脳卒中心筋梗塞・炎症等の予防に効果があると言われています。とはいえ摂取目安は1日小さじ一杯程度で十分と言われているので、過剰摂取は気を付けましょう。
熱に非常に弱いので加熱調理はNG。光にもあててはいけないと言われています。低温圧搾法(コールドプレス)で製法されている物、遮光ボトルを使用している物を選ぶのが望ましいです。また非常に酸化が早く酸化してしまうとかえって体に悪いので、冷蔵庫保存で開栓してから2週間程度で使い切れる量のものを購入することをお勧めします。
↓手軽に取れるドレッシングは便利
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アマニ油に含まれるリグナンという成分が女性ホルモンのバランスを整えると言われるので、女性には特にアマニ油がおすすめです。
 
かつては花粉症は日本の国民病と言われたこともありましたが、最近では海外でも花粉症の発症率が高まっているようですね。私は今のところ花粉症の兆しはなく無事に過ごすことが出来ています。炒め物等は油は使用しない(今のフライパンはくっつかないように出来てるしお肉などの油で十分)、たまにする揚げものにはオリーブオイルを少なめ150度設定で使用、ドレッシングは亜麻仁油を使用しています(手軽な市販品もいいけど、家で採れた柚子果汁と合わせて自作ドレッシングも美味しい)。
みなさまも知らず知らずに過剰摂取になりがちなリノール酸を控えてみてはいかがでしょうか。

近況報告

大分ブログを放置してしまいましたが、何をしていたかというとポイ活に追われて疲労困憊しておりましたです笑。放置中にも訪れてくださった方、大変申し訳ありません。いつもありがとうございます(ちなみにプランクももう10日くらいサボってるよ)

隙間時間にちょっとポイ活♪程度のはずが、パズルゲームとかも多いので脳が疲れてしまって笑。時間が過ぎるのがあっという間だし没頭して余計なこと考えなくて済むし、夜は爆睡だしで案外悪くないかもしれませんが、まあタスクの整理が必要ですね。

ブログも続けたいし、ノートPCを手に入れたこともあり、実はFXも少額でまたチャレンジしたいなと思っているんですよね。国内株を購入する時にぴったり買切ることは出来ないので、毎度出る余りのお金を使えばいいかなと。

昨年スマホでFXをやっていたことがあって、いつでもどこでも出来るツールだからこそとらわれ過ぎてしまって疲労による判断ミスや誤操作も多く、時間を決めてチャートを見て冷静に判断するにはスマホよりPCの方が向いているのでは?と思っていて。PCを手に入れたら再開したいなと思っていたんです。

FX自体は意外と再現性が高いような気がしておりまして(自分自身の誤操作や判断ミスの方がはるかに問題)。スマホよりPCの方が向いているのではないかなと。

最小単位だと日々の損益も大したことはないと思いますが、ポイ活のレベルで考えれば結構それなりに足しになるような気もする。経験積みたいんですよね。もしコツがつかめることがあれば投資額を増やしていけばいいし。

それに本も読みたいしね。

まあそんなこんなで生活を整えなければならないな~という感じです。

 

そうそう先日は5年ぶりくらいに友人が遊びにきてくれて、息子にと洋服のおさがりを沢山もってきてくれたのですが、上の子がもう高校生だそうで。

私は結婚してから子供を授かるまでに7年くらいかかっているのだけれど、同世代でも早く産んだ人の子はもう成人していたりする子もいるのでびっくりします。そうかと思えば未婚で実家暮らしという友人も少なからずいるし、私たちの世代は生き方が本当に多様ですね。

人生って一方通行で、時間というベルトコンベアに乗せられて嫌でも前に進んでいくしかなくて、過去についてこうしておけばよかったとか、こうなっていたらよかったのにとか考えても、時間を遡ることは絶対に出来ない。

出来るのは未来について考えて、出来るだけ後悔しない選択をすることだけなんですよね。そもそも選択の余地さえなかったりすることも少なくないですが、自分が持っている手札の中から最善の選択をするしかない。

とりあえず私の今の任務は子供を育て上げることで、その中には子供の安全基地の確保や精神的な安心感を脅かさないということも含まれていて、時が経てば親としての責務は終わるのだけど、今はその時ではないのは確かで。子供については絶対に判断を誤りたくないですね。一生後悔すると思うので。

そういう自分自身の人生においてもそうだけど、他者の人生の貴重な時間についても、私の無責任な言動で振り回して無駄に浪費させるようなことはしたくはないなと思いますしね。人間関係って難しいですね。

最近愛という言葉が上滑りしているような気がしてそういう意味でもなんかもう全部嫌になっちゃってる感あるんですが笑、性愛とかそういうんじゃなくて、多生の縁があった人が、個人のエゴとかそういうのではなく、本当の意味で人生が豊かで幸福であることを願うという部分での愛情を持ち続けていたいと思っているということはお伝えしたいなと思う所存です。

タイミングだったり相性だったり、誰かが傷ついたりどちらかが我慢したりしなくても済むような、全てがばっちりはまることは難しくても、固定観念や一つだけに固執せず、視野を広く持って色々な可能性について選択肢を広げてみてもいいのではないかと思ったり。

なんにせよ一度きりの人生ですからね。悔いの無いように生きたいように生きて欲しいと思っておりますです。前向きに楽しく生きていきましょうね。

 

これからの時代の女性の生き方について

ここ25年くらいで女性のおかれた状況って本当に一変したなと思います。

今までは男性が経済を独占していて、女性は男性の下に下るものであるという社会的な風潮があり、今の40代より昔の人たちは、女性は学歴やキャリアが高いと結婚できない、女性は家族の為に家事育児介護やPTAや地域活動等の無償奉仕を担うべき存在、就職はその会社の男性社員の結婚相手候補として腰掛採用され、25歳までに寿退社できなければ「行き遅れ」とか「お局様」などと嘲笑の対象となり、未婚だけでなく離婚やシングルマザーなども社会的に蔑視され差別されるような社会で生きていました。

仕事においても女性は無能であるというレッテル貼りをされる、或いは頭を押さえつけられる状況で、昇進やポストは男性が独占しそもそも女性は経験も積ませてもらえない、権力を利用してわいせつ行為や性行為を強いられる女性も少なくありません。

そして嬉々としてセックスを提供するような女性ほど経済的に有利になり、性被害を告発するような女性はネットでも総攻撃されます。この辺は未だにそうですね。

それがガラリと一変して最近は普通の女性も働いて当たり前の時代が来たわけですが、これは社会の意識が変わったからとか男女平等になったからとかではなく、単純にバブル経済が崩壊して就職氷河期となり、大多数の男性が一人の所得で家計を支えることが出来なくなったからなだけなんですよね。

社会の意識や環境が変わっての女性の経済的自立であればもっと女性が働きやすい環境が整っているはずですが、実際はただ単に男性の経済独占時代が破綻しただけに過ぎないので、今の女性は「ロールモデルがいない」と途方に暮れているわけです。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/r05pdf/202322801.pdf

就職氷河期世代は金の卵世代のジュニア世代=第二次ベビーブーム世代なのでその世代は人数が多いのですが、経済崩壊や当時の小泉政権下での労働者派遣法、給与の低下、就職困難やリストラによる経済界の切り捨て、政府が女性も働いて納税するべしとした後にもほとんど無策であったために、結婚そのものも家庭や子育てと仕事の両立というものも殆ど不可能な状態で、期待されていた第三次ベビーブームは訪れなかったために、少子高齢化が加速してしまいました。

今も自民党政権は脱税だの汚職だので酷いもんですが、マジで無能な政治家は国を滅ぼしますよ。

基本的に新生児~小学四年生くらいまでは仕事と育児の両立はかなり厳しい

今までも現在も勿論バリバリに働いている女性っていますが、多くの場合独身だったり、健康で体力があり、育児は親や親類がかなり助けてくれる、自営業や親族営業で時間やお金に自由があるなど、恵まれた状態にある人が大半です。

新生児~幼児期までは放っておいたら簡単に死んでしまうような状態だし、夜中に起きてしまって寝てくれなかったり、病気にかかる頻度も非常に多く、高熱や下痢等で夜中に病院に駆け込むなんてこともしょっちゅうです。

大昔のように田畑を耕している間子供はその辺で遊ばせておく、なんてことも出来ませんし、小学四年生くらいまでは子供を一人で留守番させたり外を出歩かせたりしてはいけないというのは多くの親の常識となっていると思います。

バブルが崩壊するまではずっと男性は「働いているから家庭のことは出来ない」というのが通用していたわけで、男は働くだけでいい、女は家事育児をやればいい、という性的な役割分担があったはずで、経済が崩壊したからいきなり女性に仕事も妊娠出産育児もやれとか、男性も家事育児やれとか言い出したところで、経済界の在り方が家事育児との共存を模索して変わらない限り、両立なんか土台無理なんですよね。根性や意識だけで両立できるのであれば、今まで「男は働いているから出来ない」っつーのはなんなんやったんやっていう。

経済が家庭を担わなかった男性社会の頃と同じままであり続けるのであれば、ものすごく体力や根性がある人とか、たまたま自由な仕事の人とか、無償労働を引き受けてくれる親がいるとか、そういう限られた人しか母親になることが出来なくなってしまう。ただでさえ少子化で女性の数自体が減っているのに、更に限られた人しか母親となれなければ、ますます少子化は加速してしまいます。

経済活動の在り方そのものが大きく変わらなければならないと思うんですよね。

AIやロボットなどの技術が進んでいくと、今後今ある仕事の49%が無くなると言われています。こういうと仕事が無くなるとネガティブに考える人がいますが、昔の欧州であれば過酷な奴隷労働による労働搾取が行われていたものが技術の発展により不必要となったように、AIやロボットがある程度の労働を代行してくれる時代となれば、人間が担う仕事も変わってくるし、もしかしたらベーシックインカムが導入されるなどして、ゆくゆくは古代ギリシャのように働かず哲学ばっかり考えていられるような時代になるかもしれません。

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個人的に考える女性のこれからの生き方について

子供が要らない女性は自由に生きればいいと思いますが、子供が欲しいと考える女性であれば、経済界が変わって子育てと仕事の両立が可能になっていればそれでいいと思いますが、両立が不可能であれば男性に経済を支えてもらうというのでいいと思うんですよね。

その辺は個人の状況によりケースバイケースなので、支援の要らない女性もいるかもしれないし、支援がなければ子供を産み育てることが不可能な女性もいる。逆に経済的に支えられない男性もいるし、経済力がある男性もいると思うので。

「~~べき」で選択肢を無駄に狭めてしまうと、条件に合致した人しか母親になれない為に母親になれる人が少なくなってしまう。人口を減らしたいならそれでいいですが、人口を増やしたいのであれば、ケースバイケースで柔軟に選択肢がある方が理にかなっていると思います。

ただ基本的には女性も経済自立できる状況にあることが一番望ましいです。経済を男性に独占されていた頃のような状態はまるで檻に入れられた奴隷。男性に不倫や妾、隠し子などで裏切られようが、暴力や逸脱行為で危害を加えられようが、経済的に自立出来ないから、或いは差別されるから離婚は出来なかったというのは女性の暗黒時代だと思っているので。「夫源病」なんて言葉まであり、特に高齢者世代は精神病んでも離婚出来ない不自由が顕著でした。

子供を育てるにあたっては、母親も父親も子供には必要な存在だと思うし、普通は両方とも子供と一緒に暮らしたいだろうし、親としての責任として養育する義務がありますから、子供が生まれてから育ちあがるまでは家庭という巣で共に協力して子育てするのが望ましいと思います。しかし子供が育ち上れば必ずしも夫婦が一緒にいるべきだとは思いません。勿論一緒にいて楽しい仲良し夫婦ならいつまでも一緒に居ればいいと思うし、そうでないなら離婚してもいいのでは?と思います。

そういう意味でも女性は一人で生きていく経済的手段を持っておくべきだなと思うんですね。離婚ではなく別居婚とか卒婚という形でも構わない。

人生80年と考えると、例えば30で子供を産んだ人なら50には子供は成人し独り立ちしていますよね。女性はその後の人生を自分の為に生きるという選択肢があってもいいと思うんです。夫や子供のケアを終わりにして、やりたい仕事に専念したり、一人暮らしを楽しんだりしてもいいのでは?

女性って人によっては子供の頃から親のケアまでしていたり、大人になっても恋人や配偶者のケア、子供のケアを担い続けている人が少なくありません。そういう女性が他人のケアから解放されて、少しでも若く健康なうちに第二の人生を謳歌するという選択肢があってもいいんじゃないかなと思うんですよね。

必ずしも雇用されたり時間が拘束される仕事ばかりではありませんから、投資などを学んでみたり、何かしら自営業を模索するのもいいですよね。

図らずも男性経済の崩壊により、タナボタで手に入れた女性の経済自立なわけですが、殆どの女性にとってそれは幸運であり、もはや誰も経済的自立の可能性を手放したくないと考えているのではないかなと思います。檻の扉が開け放たれた以上、もう誰も檻の中には戻りたくありませんよね。

9900万人を調べた史上最大規模の研究でコロナワクチンの健康リスクがあきらかに

グローバルワクチンデータネットワークの元で2021年に設立されたグローバル新型コロナワクチン安全性プロジェクトにより、8カ国10施設での約9900万人を対象とした大規模研究によってコロナワクチンの健康被害リスクの報告がなされました。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0264410X24001270?via%3Dihub

結果

参加者にはワクチン接種を受けた99,068,901人が含まれていた。研究期間中に参加部位全体で合計1億83,559,462回のBNT162b2、36,178,442回のmRNA-1273、および23,093,399回のChAdOx1が投与された。相同ワクチン接種スケジュール後のリスク期間は、23,168,335 人年の追跡調査に貢献した。ChAdOx1ワクチンの初回投与後、ギラン・バレー症候群(2.49、95% CI: 2.15、2.87)および脳静脈洞血栓症(3.23、95% CI: 2.51、4.09)でLBCI > 1.5のOE比が観察されました。急性播種性脳脊髄炎は、mRNA-1273 ワクチンの初回投与後に 3.78 (95 % CI: 1.52、7.78) の OE 比を示しました。BNT162b2、mRNA-1273、および ChAdOx1 後の心筋炎および心膜炎の OE 比は、LBCI > 1.5 で有意に増加しました。

約1億人を調べた史上最大規模の研究で新型コロナワクチンの健康リスクが明らかに - ナゾロジー

↑こちらでより詳しくわかりやすく解説されています。

心筋炎・心膜炎リスク

1回目の接種後にファイザーのワクチンを打った人は42日間で心筋症の発症率が2.78倍に増え、モデルナのワクチンを打った人はそれより多い3.48倍に増加していることが示されています。

2回目の接種ではより顕著であり、心筋症においてファイザーのワクチンでは2.86倍、モデルナのワクチンは6.10倍にも及びました。

またデータを分析すると、特に心膜炎は10代後半から20代前半までの男性において最も副反応が出る率が高かったことが示されました。

心膜炎でも同様の強い傾向がみられ、1回目の接種ではファイザーのワクチンでは1.54倍、モデルナのワクチンでは1.74倍となりました。

また3回目の接種ではモデルナのワクチンは2.64倍となっています。

ただ最も高い数値だったのは、心膜炎に対するアストラゼネカのワクチンの影響でありであり、3回目の接種に6.91倍となりました。

この結果は特に、1~2回目の接種においてファイザーやモデルナなどのmRNAワクチンでは心筋症と心膜炎のリスクが増大することが示されました。

ギランバレー症候群リスク

左から順番に統計的に有意な差がみられたものをみていくと、まずギラン・バレー症候群(GBS)がアストラゼネカワクチンによって2.49倍に増加しているのがわかります。

1回目のアストラゼネカのワクチン接種により、1.91倍に増加していることがわかります。

右から二番目の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)では、アストラゼネカのワクチンで2.23倍、モデルナのワクチンで3.78倍に増加していることが示されています。

血小板減少症、血栓リスク

一番左の血小板減少症(THR)は出血を防ぐ役割がある血小板が血液中で減ってしまう症状であり、1回目の接種で、3種類全てのワクチンで有意な増加を示しました。(※アストラゼネカ1.07倍、ファイザー1.11倍、モデルナ1.33倍)

左から2番目の特発性血小板減少症(ITP)はウイルス感染後などに突然発症する血小板が減少する症状であり、1回目のアストラゼネカのワクチン(1.40倍)とファイザーのワクチン(1.08倍)で有意に増加しました。

中央の肺塞栓症(PEM)は足の静脈などから剥がれた血栓によって、肺に血液を起こる血管が突然に閉塞してしまう症状であり、3種類全てのワクチンで1回目の接種後に増加しました。(※アストラゼネカ1.20倍、ファイザー1.29倍、モデルナ1.33倍)

脳静脈血栓症(CVST)頭蓋や硬膜洞でみられる血栓症であり、1回目の接種後にアストラゼネカのワクチンで3.23倍、ファイザーのワクチンで1.49倍に増加しました。

一番右の内臓静脈血栓症(SVT)は肝臓へ続く血管(門脈系)の静脈が閉塞してしまう症状であり、1回目の接種後にファイザーのワクチン(1.25倍)とモデルナのワクチン(1.23倍)で増加しているのがわかります。

アストラゼネカのワクチンはパンデミック中にもかかわらず血栓症になるとして利用が一時停止したことがありますが、3つ目の表でも統計的に顕著(赤色マス)に血栓ができることが示されています。

mRNAコロナワクチンによる心筋炎・心膜炎、血栓、自己免疫疾患(血小板減少症が免疫性血小板減少症なのかは不明ですが)については、初期の頃からそのリスクについて危惧しており、ヤフコメやnote、旧Twitterなどで警告していました(ちなみに私と息子は未接種です)。

散々陰謀論者と罵られ、ヤフコメも削除されたりしてきましたが、この度それらが科学的に証明されたことをここに記録しておきたいと思います。

まあ普通に京都大学の薬害研究の名誉教授や死亡解剖の権威と言われるような人もちゃんと健康被害リスクについての懸念を表明していますし、ニュースにもなってますし、研究されている人たちもいますし、情報調べて考えれば普通分かると思うんですけどね。

改めてmRNAワクチンと新型コロナについて

尾身氏が42万人死亡すると大騒ぎしていた頃が遠い昔のように思いますが、その数字の根拠って高齢者が大多数を占めるクルーズ船の3700人余りのうち712人が感染し、13人が死亡したことを、年齢や健康状態などの区別なく日本の国民1億2000万人に単純に当てはめただけなんですよね。

パニックの中で各都道府県の知事らが色々活動や発信していましたけど、北海道の知事だったかが「子供が無症状感染で高齢者に感染すから出歩くな」とか言ってましたが、それ一つとっても「いや、子供、無症状感染で元気に歩き回ってるなら死ぬわけないやん」ってことが分かると思うんですよ。

つまり健康な子供や若者はコロナでは死なない、高齢者などはもとからインフルエンザや風邪などでも衰弱して亡くなるリスクが高いよって話で、高齢者が大多数を占めるクルーズ船での死亡率を、子供から高齢者までひっくるめた1億2000万人に単純に当てはめるなんてどう考えても頭が悪すぎるって思いませんか。

それでも肺炎てキツいし出来ればなりたくはないよねとは思います。ただmRNAワクチンはその仕組みが自分の細胞内にRNAを取り入れてコロナウイルスのスパイクタンパク質を作るというもので(それだけでも自己免疫疾患⇒自分の体の成分に抗体が出来てしまい自分の体を攻撃してしまうリスクが高いのでは?と思った)まともな安全性の研究もなされていないまま緊急事態ということで接種が開始された。つまり接種することは人体実験に参加することに他なりません。

安全性についての懸念もさることながら、本当にコロナを予防する効果があるのかどうかさえ証明されておらず、効果が「期待できる」としか言われていなかったんですね。

それでも感染したら死ぬかもしれないと考える高齢者が一か八かの賭けに出てワクチンを接種することについては別に何の文句もありませんが、「無症状感染で出歩くな」とか言われるピンピンしてる子供や明らかに死亡リスクが著しく低い60歳以下の人たちにまで接種を強要できるほど、安全性も感染予防効果も伝播抑制効果も全く立証されていないんですよね。

実際インフルエンザもそうですが新型コロナウイルスも案の定変異が非常に早く、肝心のスパイクタンパク質があっという間に変化した為に初期型のワクチンもあっという間に型遅れとなりましたが、頭が悪い人たちは型遅れのワクチンを3か月毎に頻回接種するとスーパー抗体が出来るとかなんとか言いながらジャンキーみたいに接種しまくってましたよね。ちなみに人体の免疫記憶は普通最低でも8年は持つはずなので、そこまでの頻回接種は明らかに必要ありません。ましてや型遅れのもうこの世に存在していないウイルスのワクチンなんて100%必要ない。健康被害リスクがあるだけです。

皆さんご存じの通りオミクロン以降は肺炎症状が消え去り、発熱と上気道炎に変異しました。

ちなみに夫はワクチン三回接種済、私と息子は未接種ですが、一昨年に息子がコロナ(オミクロン以降)に感染してその後私と夫も感染。感染率や症状等でワクチン接種未接種の有意差は別に感じなかったですね。高熱が出て、葛根湯やビタミンCとって寝て治った。夫はプラス下痢があったくらいかな。全員後遺症もありません。

あんなに大騒ぎしていたコロナですが、ワクチンのお陰でウイルスが消え去るなんてこともなく、接種者が感染しないなんてことも全くなく、今コロナなんてほとんど気にせず普通に暮らしてるやんけっていう。

ちなみに人類がウイルスを撲滅できたのは天然痘だけで、それはヒトヒト間感染のみで感染すると見た目で分かりやすい(隔離しやすい)など特殊な条件があったからなんですよね。

「ワクチン接種で集団免疫獲得!未接種のフリーライダーを懲らしめろ」とか息巻いてた、確か早稲田だかなんだか有名大学出身のライターとかいた気がしますけど、人間って本当怖いですよね。未接種者の自己決定権を脅かし、まるでヒットラーみたいに収容所に入れて集団殺害しかねない狂気を感じました。

ちなみに接種率の高かった東北地方ではコロナ以外の死因による死亡率が急増しているんですよね。心筋炎も血栓も死亡リスクは高いと思います。夫の祖父も近所の高齢者もワクチン接種後に立て続けに亡くなっています。

東北の死者急増、コロナ以外多数占める 21年、22年1~10月 | 河北新報オンライン

まあどんなにこちらの正当性を主張したところで、ワクチン信者には到底伝わらないとは思いますが、難しい話が理解できなかったとしても、人の自己決定権の侵害だけはやめておいて欲しいなと思います。