地底海に眠る

このブログはアフィリエイト広告を掲載しています

ガスライティングについて

ガスライティングという言葉をご存じでしょうか?

1938年に制作された「ガス燈」という、夫が悪意ある嫌がらせや嘘などによって妻を精神的に追い込んでいく精神的DVが描かれた作品が由来となって出来た言葉で、海外ではガスライティング行為は罰金や懲役刑に処されることもある重大な犯罪の一つと定義している国も存在します。

しかしガスライティングは客観的に明らかな暴力や暴言、犯罪行為とは異なり、分かりにくい陰湿な嫌がらせを繰り返す行為なので、客観的に立証することが難しく、多くの場合法的に訴えても証拠不十分で無罪になるか、もしくは被害者側が自分が受けている被害についての言語化や立証が難しい為に、誰にも相談することが出来ず我慢し続けて心身ともに疲弊するということになりやすく、多くの場合泣き寝入りするしかないのが現状のようです。

具体的にどんなものかというと、例えばちぐはぐな言動で被害者を混乱させたり、細かい嘘をついたり、過去に行った言動を全く無かったことであるかのように意図的に否定して被害者を混乱させたり、褒めた後に突然けなしたり、被害者が孤立するように仕向けたり、周囲に対して加害者側が被害者で被害者側が加害者であるかのように思わせる言動をしたりと、非常に悪質で陰湿なねちっこい嫌がらせを続けるのです。

 

こういうことをする人間の特徴は、ナルシストでプライドが高く、自分が正しいと思い込んでいて、自分に対する批判や問題点の指摘を許容できない、自分の過ちを認められないし反省も出来ないという人格的特徴があると言われています。

しかしその実内心では強い不安感や他者への依存心などを抱えており、理想自己と現実自己の乖離による、理想の自分の姿を認めない相手への怒りや復讐心、また相手を周囲から孤立させて支配しようとする強い依存心などが動機であると指摘されます。

私も実は「これはガスライティングでは?」と感じるような言動をされたことがあります。口では優しい言葉を言ったり、愛情を伝えるのですが、非言語の情報発信によって客観的には分からないような形で怒りや別れなどをにおわせてくる。そしてこちらがそれをうけて距離を置いたり、怖いのでやめて欲しいと伝えても無言でスルーし、しばらく経つと自分がしたことをまるで無かったかのように振る舞いはじめ、また優しい言葉や愛情を伝えてくる。こちらが相手にしなかったり怒ったりしていると、泣いたり懇願したり遜ったりして、客観的に見るとこちら側が悪者で、向こう側が被害者のように見えてしまう。

ガスライティングはそのちぐはぐな言動や細かい嫌がらせについて加害者本人も無自覚に行っているケースが多く、意図的にやっているとは限りません。しかし加害者側から被害者側への強い執着や、関係性が思い通りにならない怒りや不満があることは確かです。

個人的には常日頃から細かい嘘をついて人を騙して自分を良く見せようとするようなタイプの人間が、ガスライティング行為を行いやすいのではないかと思います。

加害者が被害者側に執着しており、加害者側にとって関係性が満足するものではないから、ガスライティング行為のようなネガティブな嫌がらせ行為を(意図的か無意識かに関わらず)行うようになるので、本質的には距離を置いて離れることでしか逃れることは出来ないと思います。そういう意味ではストーカーやモラハラと同じ感じです。

ちなみに被害者の殆どは女性だと言われますが、関係性は恋愛やパートナー関係だけでなく、家族や、職場や施設、学校や部活などの集団組織の中でも起こる可能性があるものです。

なかなか客観的に分かりにくく、立証も難しいものではありますが、実情を知らない第三者が口をはさんで、加害者側を嫌悪したり怒ったりしている被害者を「優しくない」とか「冷たい」「酷い」などと批判すると、被害者側は「おかしいのは自分の方かも」と思うようになりより追い詰められてしまうことになるので、手助け出来ないのであればせめて安易に断罪するようなことはしないように気を付けて欲しいと思います。

目立つ暴力や暴言や分かりやすい嫌がらせと異なり、ガスライティング行為はもやもやとした嫌な感覚やストレスが継続的に続く状態に晒されます。

基本的には自分の感覚に素直に従い、嫌だなと感じたら離れるということで構わないと思います。他者に理解してもらったり、法的に裁いてもらうとかよりも、物理的にきっぱりと離れられるなら離れてしまってもう二度と関わらないということで構わないと思います。

「私が酷いのかも」とか「あんなにいい人そうに見えるのに疑う私が悪いの?」とか「周りからみたら私は冷たい人間だと思われているかも」とかもやもやするより、嫌いだし、全然幸せじゃないから離れます、でいいのです。

自分の人生を心地良くするのは自分の権利であって、他人は何もしてくれません。

不快だな、楽しくないな、気味が悪いなと思ったら、即座に離れて身を守る。人間として当然の権利だと思います。