地底海に眠る

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なぜ彼女は死んでしまったのか

ドラマ「セクシー田中さん」の原作者の漫画家芦原妃名子さんが自殺してしまったことで、一連の騒動が連日のように報道されています。

発端となった「原作者無視のドラマ制作や映画製作側の奢り」とか「出版社の横暴」とかそういう話が主軸になりがちですが、勿論そういう問題は私自身もいつも感じていたことで、何故原作者が一から丁寧に作り上げた作品を使わせてもらう側が素直にリスペクトできないのか。何故わざわざ改悪するのか。エゴが抑制できないのなら原作に頼らず自分自身で一から作り上げるべきではないのか。もしも改変したいのであれば何故そうしたいのか真摯に話し合って原作者の理解を得てからにするべきではないのか。など、色々と思うことはあります。

そして彼女が勇気をもって声を上げたことを無下にしない為にも、そこのところは是非しっかりと話し合って正すべきことは正していかなければならないとも思います。

 

でも思うんですよね。自衛隊の性暴力を受けた被害を訴えた五ノ井里奈さんの件でも思うんですが、顔を出して名前を出して世間に被害を訴えなければ物事が改善されないというこのくそバカ共の世の中はいったい何なの?って。

ここまでの代償を払わなければ間違った人間は野放しにされ続けるだけなの?誹謗中傷や攻撃を受けながらズタボロになって、誰かが自殺するまで追い詰められなければ世の中は変わらないの?

ものすげーくだらないことを仕出かす馬鹿に、お前それ人を苦しめてるからやめろなってやめさせることがそんなにも罪なの?

そもそもなんでそんな馬鹿なの?ちょっと考えればわかるようなことがなんでわからないの?脳みそ腐ってんの?

原始的な人間のもつ善悪の価値観について

ニーチェが「道徳の系譜」で指摘する通り、現在において普遍的と思われている「善」や「悪」の価値観は、実は立場や利害によってコロコロと変わる、自身の立場を優位にする、或いは誇示する為の武器でしかなく、古代においては「善=支配者/勝者」であり「悪=被支配者層/敗者」そのものでした。

その原始的な思考回路から抜け出ていない人間の集まりにおいては、経済強者や権力者はどのような浅ましい傲慢なふるまいをしても「正しい」のであり、経済弱者や弱い者はそれに服従するべきで、逆らうことは許されないという思い込みがあるように思うんです。

自分たちの「傲慢さ」や「横暴」や「自分勝手」や「強欲」が許されることで、自分は権力者であると強く感じることが出来、そういう「正しさ」が過ちを認めることはすなわち敗北することで、強者の位から失墜することになると思い込んでいるのでは。

裸の王様が裸で練り歩いて恥をさらし続けることそのものよりも、「あなたは裸(バカ)である」と指摘する方が悪いのか?

私には分かりません。そもそも私には「支配者」も「権力者」「立場が上の人」も居ない。

一番の問題は問題そのものを冷静に話し合い改善する土壌が無いこと

横暴が許されることが権力の証だと考える馬鹿や、それに阿る阿呆、そういう価値観を共有する社会であり続ける限り、その被害にあう人は泣き寝入りするかズタボロになって声を上げるかしかないんですよね。

そうやって何かが少し前進することがあったとしても、根本的な社会の認知の歪みがある限りいくらでも酷い目に遭わされる人が出続ける。木村花さんの件にしても、五ノ井里奈さんの件にしても、伊藤詩織さんの件にしても、ジャニーズの件にしても、今回の芦原妃名子さんの件にしても、個々の事件は別々の案件であったとしても、根本的なところは同じところから起きていると思うんです。

「権力者」「権威あるもの」の悪を糾弾することは許されないという非常に原始的で野蛮な人間の認知の歪み。

浅ましい言動を行う「権力者」よりも、その権力者の権威を失墜させる者の方が許されないという愚かな人間の認知の歪み。

それが人間社会の生きづらさの根本原因の一つじゃないかと思います。