地底海に眠る

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性にだらしがない人は何故嫌われるのか

多様性の時代だのポリアモリーだのといって、複数人と同時に性的関係を持つことも多様性の一つであるかのような主張をする記事をよく見かけます。まあ確かに、お互いそれで納得しているならそれでもいいのかもしれませんが、一応日本の法律では重婚は2年以下の懲役が科される犯罪となっています。この重婚罪は婚姻届けを出した場合に適用されるものですが。

また、不倫についても、民法における配偶者の法律上保護される利益を侵害、棄損したとみなされ、損害賠償責任が科されます。

世の中には刑法だけを守れば良くて、民法は蔑ろにしても良いかのような誤認をしている人が多々見受けられますが、民法も個人の権利を国が保護する為に制定された順守するべき法律であり、軽視することで損害賠償以外にも、反社会的な人間という烙印を押され、社会的に処罰の対象になったり、信頼が失墜するリスクもあります。場合によっては民法のほうがエグい結果をもたらすこともありますから、侮ると痛い目にあいます。

何故国は一夫一婦制を採択し、重婚は犯罪として厳しく処罰するのでしょうか?

男女平等

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」
憲法24条を見れば分かる通り、ここには二つの重要な考え方が記載されています。
ひとつは経済や社会的立場の強い弱いでどちらかが不利にされるのではなく、結婚する両者は平等であるということ。そしてもう一つは親や社会的な経済等、権力等による、個人の尊厳を無視したいわゆる政略結婚を禁じているということです。
江戸時代まで日本にも身分制度があり、庶民は兎も角として身分の高い社会では恋愛結婚はほとんどなく、大抵の場合政略結婚が主流でした。その際には女性がある種の財産や献上品のような扱いを受け、親や親戚のつながりを持つための子供を産む道具として、個人の尊厳を無視して利用されてきたという現実があります。
そして身分の高い男性は跡継ぎを産ませるという名目のもと、本妻の他にも側室や妾といった多くの女性を囲うことが当たり前でした。
今でこそ女性も働いて当たり前、女性も経済自立しろ甘えるなと手のひら返ししていますが、ほんの20年前くらいまでは、女性は学歴やキャリアの高い女性はモテない、25過ぎたら賞味期限切れ、男性社員の嫁候補として腰掛採用され、寿退社するのが当たり前。寿退社出来なければお局様と呼ばれ嘲笑の対象とされていましたし、経済強者の男性が不倫したり妾を囲うことは男の甲斐性だと言われていました。
このような内容の憲法24条が制定されたのは、実際に社会において女性の地位というのは驚くほどに低く、そして女性自身でさえそれが当たり前だと思い込んでいたという悲しい現実が背景にあるわけです。この歴史的な事実をまるでなかったかのように振る舞うのは全くフェアではないと思います。

子供の権利を守る

結婚も恋愛ももちろん個人の自由ではありますが、国や社会としては誰と誰がラブラブだの誰と誰がエッチしただのとかは興味ありません。国としての観点からいえば、国民が結婚するというのは子供を産み育てることを想定しています。子供は新しい国民の誕生であり、未来を担う重要な存在です。国はちょっとしたことでも死んでしまう独力では生きていけない弱い子供たちが無事に育つことができるよう、保護する法律を沢山制定しています。
不貞行為の禁止、女性の再婚禁止期間が設けられているのは、共に生まれてきた子供が誰と誰の子供であるか、誰が養育者として責任をもって育てるかという、子供が生きていくうえで非常に重要な情報を明確にするためのものです。
男性が無責任に女性を孕ませてその養育を放棄することも、配偶者やその間の子供の権利を侵害しているだけでなく、相手女性との間の子供の尊厳も傷つけることになりますし、女性が男性を裏切り別の男性の子供を偽って産むことも、配偶者の権利の侵害だけでなく、事実が露見した時その子供がどんな目に遭わされるかを考えたら不貞行為がどれだけ問題を巻き起こすかは自明の理だと思います。
子供の権利については単に育てばいいというだけでなく、親の財産を相続するという権利もあります。
なお女性の再婚禁止期間については、遺伝子検査の可能な現代においてあまりにも前時代的なので、令和6年以降からは廃止される予定です。
法律や憲法というのは普遍的に制定されるもので、個別案件はケースバイケースでよく精査されるものですが、憲法や法律がなにを守ろうとしているのかということを考えてみることはとても大切な視点だと思います。

生殖本能とはどんなものか

よく男は種をばらまくのが本能だから仕方がないとかいう人がいるんですが、実はそれは動物の生殖本能では無く、ドーパミン報酬系の過活性や前頭葉の機能低下による単なる快楽の依存行動であって、生殖本能とは言えません。

人間は脳が非常に大きく産道を通る限界の大きさで生まれてきたとき、他の哺乳類に比較して未熟児の状態で生まれてきます(他の哺乳類は生まれてすぐに歩けることが多い)。

その為人間の親は子育ての負担が非常に大きく、また子供が自立できるくらいまでにはどんなに短くとも15年くらいはかかります。人間社会のシステムとして子育てには経済力も不可欠です。

動物も人間も、子供は種をばらまくだけでは繁殖行為は完結しません。その後しっかり育てあげるまでが繁殖行動です。

ネット記事ではまるで不幸の象徴であるかのように夫婦のレスが取り沙汰されます(夫婦の約半数がレス。加齢と共に増える)が、子供がいる家庭において、今いる子供をきちんと育てる為に第一段階の生殖行為が終わり、育成という次のステージに進んでいるので、これは当たり前の話です。

性欲をもたらすテストステロンは男性ホルモンと呼ばれますが、これは(量に差はあれど)男女ともに分泌されており、結婚や子供が生まれることでテストステロンの分泌は男女共に減少し、変わりに幸福ホルモンといわれるオキシトシンが分泌されるようになります。テストステロンは独身やパートナーとの関係性が険悪になるなどすると分泌量が増え、新しい繁殖相手を求めて性欲や攻撃性が強くなるのですから、レスであることはまともな人間なら至極当然の話です。育成のステージになっているのに性行為に対しての欲求が強すぎる人は夫婦仲が険悪か、もしくは性行為依存症であって、子供を育て上げるまでが繁殖本能とするなら、むしろ繁殖本能が乏しい人間であるといえます。繁殖本能がある人間は男性でも子育てに積極的で子供をかわいがります。自分の責任のもてる範疇でとどまり、あちこちに種をばらまいて知らんぷりはしません。

特に妊娠出産新生児育児の大きな負担を担う女性にとっての良い繁殖相手とは貞操観念がしっかりした誠実で愛情深い、責任感のある信頼できる男性です。

性病が感染するリスク

本能的に忌避される一番の理由はこれでしょう。性的にだらしがない人間は確実に性病に感染しています。自覚症状が無いものも多いですし、キスなどで感染してしまうものもあります。不妊症やがんの他、命に係わる深刻なものもあり、妊娠出産で子供が感染するという悲劇にもなりかねません。

性にだらしがない人間が、それを批判されると「嫉妬してるんだろう!」とかいう人いるんですが、どんだけ自己肯定感強えーんだよwと思います。大抵の場合は性病の感染リスクを忌避する防衛本能からくる拒否感だと思います。端的に言えばキモいんです。

希少性と独占欲が満たされない

精神的恋愛の醍醐味ってなんでしょう。私はそれは「希少性」と「独占欲」なんじゃないだろうかと思います。よく「何をするか、どこへ行くかではなく、誰とするか、誰と過ごすかが重要だ」という人がいます。

代替の効かない唯一無二の希少性、関係性、そういう異性を独占しているという実感。そういうものが高揚感を齎すものなのではないでしょうか。

星の溶鉱炉でしか作られることのない金がその希少性ゆえに価値が高いとされるように、人間もそこら中でいつでも誰でもセックスできるだらしない人間より、特別な関係性でしか得られない品位のある人間の方が価値が高いような気がするんですが、どうでしょう?誰にでもホイホイついていく人はなんだかがっかりしてしまいますよね。それと付き合う自分の価値までも貶められた気がしてしまいます。

トラブルを巻き起こす

人間関係で一番うんざりするのがヒステリー人間のギャーギャー喚き散らしたり、人を攻撃したりするやつです。男女の下らない揉め事に夢中になって、勝ち負けに拘り相手に嫌がらせしたり、マウントをとったり、自分を奪いあう異性を見てご満悦だったり。超くだらないし面倒くさいです。怖い目にも痛い目にも遭いたくありません。そんな面倒くさい騒動に巻き込まれるより家で本でも読んでた方がよほど幸せです。そんな奴は恋人程度ならどうぞどうぞとのしつけてくれてやればいいと思います。まかり間違って結婚して子供でもいたら地獄ですからね。相手はよく吟味したほうがいいです。

まとめ

以上、何故性にだらしがない人間は嫌われるのかについて深堀してみました。