地底海に眠る

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反応性愛着障害の頭の中

私は虐待育ちで反応性愛着障害を自認しています。しかし自分以外の反応性愛着障害持ちをリアルでは見たことがありません(有名人とかでは脱抑制型の愛着障害があるのでは?と感じる人はみたことある)。反応性愛着障害があると基本的に他者と関わることを避ける傾向が強い為、居たとしても人と関わらないので認識されないのだと思います。なので世間一般に反応性愛着障害は理解されにくいだろうなと思います。

愛着スタイル診断の回避型と愛着障害が同一視されている

たまに「恋愛アドバイザー」みたいな人とかが、彼とうまくいかないのは彼が愛着障害だから、みたいに断言したりしてるのを見かけるのですが、これはだいぶ乱暴な話だなと思います。

確かに反応性愛着障害持ちの人は愛着スタイル診断をすると確実に回避型に分類されると思います。しかし、回避傾向のコミュニケーションタイプがイコール愛着障害なのかというと、それは違うと断言できます。

何故なら回避型の愛着スタイルは、ASDの孤立タイプや、シソイドパーソナリティ障害(他者に全く興味がない人格障害)、生まれ持った気質など、先天的な脳の特性によるコミュニケーション障害の可能性もあるからです。

ASDなどは100人に1人はいると言われていますが、困難が顕著ではない場合は診断を受けない為、潜在的にはもっと多くいると思われます。特に女性の場合女性ホルモンやオキシトシン分泌が男性よりも多く、それらは脳の認知機能や社会的認知力を高める為にASDのコミュニケーションの困難が表面化し難く、女性でASDと診断される割合は男性の4分の1以下で多くの場合知的障害を伴う人しか診断を受けていないのが実情だと思われます。

愛着障害は一般的に幼児の頃に医者が診断するもので、反応性愛着障害ASD、脱抑制愛着障害ADHDは客観的に見たときの子供の状態が非常に似ています。その為一昔前は愛着障害ASDADHDは混同されており、発達障害は親の虐待のせいだと思われていた時期もありました。実際にはASDADHDは生まれ持った脳の特性であり先天的なものなので、これは発達障害の子供を育てる親を相当に苦しめる誤解であると言えます。

対して愛着障害の場合は脳が未発達な乳幼児期からの暴力や怒声、家族の暴力を伴う諍いや、養育放棄(ネグレクト)、養育者がコロコロと変わって安定した愛着形成に支障があるなどの劣悪な環境により脳が後天的に機能低下を起こしている状態です。

特に反応性愛着障害は、乳児期からの不適切な養育環境によって、ドーパミン報酬系が定型発達児に比較して著しく機能低下を起こしていることが明らかにされています。

https://www.u-fukui.ac.jp/wp/wp-content/uploads/20150930-3.pdf

一方でASDの困難として有名なサリーアン課題や言語の特異性などは反応性愛着障害にはみられません。

ASDは脳のミクログリアによる機能的神経回路の形成不全が要因の一つと考えられています。Journal of Japanese Biochemical Society 93(2): 248-251 (2021)

ASDは先天的な脳の発達障害、反応性愛着障害は不適切な養育による後天的な脳の発達障害であり、表面的には似た行動を示したとしても、機序が全く異なるのです。

また愛着障害には反応性愛着障害の他にも脱抑制型愛着障害というものがあり、こちらは積極奇異型とでもいうのかむしろ他者に積極的に関わろうとするので、回避型愛着スタイルとは様子が全く異なります。

公園やおもちゃ売り場などで周りに保護者がおらず、子供だけで一人(あるいは兄弟のみ)で遊んでいて、知らない親子連れの後をついてまわる子供。園や学校から帰ってくるといきなり人の家にきて上がり込み、おやつや夕飯を食べていく子供。家に寄り付かず同じ立場の子供同士や反社会的な大人と群れて、犯罪や売春や薬物などに堕ちてしまう少年少女。それらは典型的な脱抑制愛着障害の状態だと思われます。

実際反応性愛着障害よりも社会的な困難がより強く、環境が変わっても状態が改善されにくいと言われているのでコミュニケーションが積極的なタイプの脱抑制型愛着障害の方がより生き難いかもしれません。特に性的な問題でトラブルを招きやすいです。特に幼い頃は性犯罪者の恰好の餌食にされてしまいます。

いずれにしても愛着障害とは早ければ乳児期からの不適切な養育に起因する後天的な脳の発達障害であり、そういう診断無くして、単純に回避型のコミュニケーションスタイルだからあいつは愛着障害だと安易に決めつけるのは非常に乱暴な思考だなと思います。

人間の8割はクズだと思っている

反応性愛着障害は深刻な信頼障害を持っています。幼少期から自立するまでの間狂暴でキチガイの家族と否応なしに一緒に暮らしているので、人間のクソぶりを嫌というほど味わっていますから、人間がどれ程恐ろしい存在かを知っています。一番人間を殺している動物は人間です。根拠なく信頼しろとか言われても土台無理というものです。

明らかな狂暴な人間や思いやりの欠如した人間が怖いのは言わずもがなですが、無自覚な人間の積極性も負担に感じます。

対人スタンスに見返り欲求や期待が強くなく、穏やかな気質で、猫に対してのようにそっとしておいてくれる人が好きですが、友達なんだからこうしてくれるのが当たり前でしょうとか、恋人ならこうやってほしい、こんな風になってほしいというような欲求が強すぎる人は苦手です。

虐待を受けてきた子供というのは親からの依存や過干渉にずっと振り回されてきています。虐待は未熟な親の甘えや依存の現れです。甘えや依存心、他者への過干渉や過度の期待、見返り要求、フロイトの指摘する「例外者」の心理。怒りや暴力などの支配行動によって、子供から奉仕を搾取するのです。虐待被害にあっている子供はずっとそのような未熟な人間を親として受け入れて育ってきています。

なので反応性愛着障害の人間は冷たいと思われがちですが、実はむしろ支配に弱く搾取されやすい気質であることが多い為、依存傾向が強い人間とは相性が非常に悪い。共感力が強く人との争いを避ける気質で、要求されると応えようとしてしまうので、相手にとっては心地よく依存心がエスカレートしてしまうので、関係性が腐りやすく精神的負担が重すぎるのです。

人から出来るだけ逃げるのは支配と搾取の苦しみから身を守る為です。他者とは線引きをすることが生きる為に必要だと自覚しているのです。

自分自身も勿論「こんな人と仲良くしたい」とか「こんな人が好き」という好みや望む関係性はありますが、そういうタイプの人を好きになるというだけで、そうでない人にぐいぐい詰め寄ってこうしろとか変われなどと要求することはありません。人間はそう簡単に変えられません。一時的に表面上変わったとしてもそれは本質ではないことが大半です。

基本的に無理に人と居るよりも一人でいることを好むので、安らがないけれど一人にはなりたくないから我慢して付き合うとか、相手が変わることを期待して妥協して付き合うとかはしません。嫌だったら離れるだけです。だからコミュニケーションが回避型になるのです。

一人の方がいいというと嫌われてると思われたり、同情されたりする

人といるのが当たり前だと思っている人、一人になるのは嫌だと思っている人と、反応性愛着障害は基本的に分かり合えません。迂闊に久しぶりに友達とおしゃべりしたとか言うと友達もいない可哀そうな人として同情されます笑

確かに一般的に友達がいない=人望が無い人ということになると思うので、可哀そうな人なのかもしれません笑

でも他人からどう思われるかを気にして、さも自分は人望のある人気者であるかのように見せかける為だけにトロフィーのように友達の数を競う気は毛頭ありません。というか、人の顔も名前も殆ど覚えることが出来ません。人の目を見て話すことが出来ないのでたまに会う人のことはさっぱり覚えていない。関わりの浅い他者と細やかな連絡を取り合ったりする必要性があまり感じられないので、意味もなく連絡しようとか誘おうとかの積極性も殆ど持てず、一人で本を読んだり趣味に時間を割いていることが殆どです。

誘われても応じなかったり、距離を取ろうとしたりすると、特に依存傾向の強い女性からは拒絶されたとショックを受けられたり、怒ったり卑屈な態度をとられることも少なくありません。しかし興味が薄い相手のことが嫌いだから関わらないのかというとそんなことは無く、むしろ嫌いにならない為に関わらないようにしていることの方が多いのです。久しぶりに会ってもコミュニケーション自体は円滑に取れます。心を閉ざしている、他者を憎んでいるというのでなく、ぶつかり合わない距離を保ちたいだけなのです。

経済的な困難に直面しやすい

基本的に社会や集団への帰属意識が乏しく、パーソナルスペースに土足で入り込まれることや、争いや諍いに強いストレスを感じやすい為、学校や職場などの社会的な活動が非常に困難です。

私は自律神経失調症による様々な健康の問題(頭痛、めまい、低血圧、嘔吐、胃痛、過敏性腸症候群、食欲不振、不眠)やパニック障害(動悸、強い不安感)、希死念慮などを抱えている為、社会活動に支障があり、私は高校を退学してのちに独学で大検を取得し通信大学も始めましたが、働きながらで到底勉強までは行えずそれも途中でやめてしまっています。

基本的に経済活動は人間と関わることが大前提なので、これはもう貧困まっしぐらで非常にやばいです。

反面ドーパミン報酬系が機能低下している為、欲望や他者への承認欲求などは著しく低い為、最低限生きていけるだけのお金があればまあなんとかなるかなって気もします。

見栄やプライドでブランド物や高級品を欲しがるというような欲求はほぼゼロです。派手な格好で見せびらかす相手もいませんし、人から羨望の目で見られるより、むしろ全然目立ちたくないのです(でもいいものを安く買えたとかのコスパの良い情報は好き笑)

独身の頃にあった財産は家族の為に使って尽きてしまったので、現在は子育てしながら投資やポイ活でコツコツお金を貯めている状況です。

ネット社会になり投資が手軽にできるようになったことは、私のような反応性愛着障害持ちにはとてもありがたいことだと思います。上手くできれば早期に社会活動からリタイアできる可能性が高まりますからね。

まだまだ先は長いですが、出来れば最低でも300万以上貯めて、投資で毎月3%程度の利益が出せるようにスキルを磨きたいです。ちなみに今月は成績がかなり悪くて落ち込んでます(日経平均はあんなに好調なのに!くそー銘柄選び失敗したー!)

愛着障害もちは大人になると虐待親や犯罪者になると思われている

世の中の方々は負の連鎖という言葉がとてもお好きなようで、虐待育ちは大人になると必ず虐待親になるとか、犯罪者になるという物語が大好きみたいです。

しかし実際のところ虐待育ちが大人になって子供に虐待する確率は1/3程度で、これは親の気質が子に遺伝する確率1/3と全く同じです。

私のケースで言うと、母親から暴力を受けて育ちましたが、虐待を受けていた私は父親似であり、虐待を受けていない愛玩子の兄は母親似。母によく似た兄も同様に狂暴で浅ましい人間で、妹の私への虐めや性的な嫌がらせもありましたし、彼女にもドライブ中に山道で置いてきぼりにしたり、避妊しないDVでデキ婚やらかしたりと超クズ野郎です。もしもこの世にゾンビウイルスが蔓延して世界が崩壊したら真っ先に兄の住む家に行き遠くからボウガンで脳みそ貫いてやろうと思います。

ちなみに私には息子がいますが(自己申告では疑わしいかもしれませんが笑)子供には一切虐待行為もネグレクトもおこなっていません。今日も元気に学校行っとります。

虐待を受けたから自分の子供にも同じ様に虐待をするなんて、全く支離滅裂で理解不能です。何故人がそれを真に受けるのか理解できません。親に対して愛着形成があり親を肯定しているのならば親から学び親のやることを模倣するのかもしれませんが、反応性愛着障害持ちは親と愛着形成が無いので、親だったとしても関係性は赤の他人と変わらない存在です。尊敬もしていないし模倣する気なんか全くないです。可愛い我が子に自分と同じ苦しみを与える気にはなりません。またあんな地獄の世界で生きるくらいなら死んだ方がましです。ようやく地獄のような家から逃れたのにまた最悪な状況を、それも自分自身で作り出すなんて、相当頭が狂ってると思いますよ。

フロイトの「例外者」の心理が冤罪を生み出している

「生理のときに放火や万引きをする女が多い」女性犯罪で月経要因説が根強く支持され続けた理由とは | 文春オンライン

人間の脳みそはおかしなもので、理解できないことに対して無理やり物語をでっちあげて分かったフリをするのが好きなんですよね。

昔であれば女性犯罪は生理のせいだという物語が信じ込まれており、多くの場合は「だから仕方がない」というような恩赦を与えるものさしとして使われながらも、中には無実の女性が殺人のぬれぎぬを着せられることもありました。

今はそれが「虐待育ちの負の連鎖」という物語だと感じるのです。

基本的に犯罪者というのは「被害者意識」「自己憐憫」「自己正当化」「他責他害」というような思考回路があります。人間は自分が心底悪いと思っていることはやりません。暴力や他害行為を行う時には「自分をこれだけ怒らせた相手が悪い」というような自己正当化をしているのです。

そしてそれが他者から裁かれ罰を受ける段階になると、自分の被虐待経験や自分が可哀そうに見える出来事などを持ち出したりでっちあげたりして、相手から同情を引き出し恩赦を得ようとします。月経のせいだと認めれば恩赦が与えれられるなら喜んで月経のせいだと認めます。虐待育ちであれば同情してもらえると分かればどんどんそれを標ぼうします。

それはフロイトの指摘する「例外者」の心理であって、本質的な虐待の因果ではないのです。暴力も逸脱行為も犯罪も、連中はそれを行うと興奮してスッキリするからやりたくてやってるんです。辛い過去の吐露は同情をひいて恩赦を得る為の卑しい行動でしかありません。

虐待育ちは親にまともに育てられていないから虐待行為を行うとか、犯罪者になると決めつけられるのは、まともに生きている虐待育ちへの酷いレッテル貼りであり冤罪です。その偏見は親に愛されない子供に対する「穢れ」への蔑視だと感じます。

女性蔑視や生理を穢れであると捉える「見下し」や「偏見」と同じように、世の中の人たちは虐待育ちにも見下しや偏見を持っていると感じます。

ナチスドイツの優性思想に過剰な拒否反応を示す人が、それを否定したいが為だけに「遺伝は関係ない」「育て方が100%だ」と極端な「こうあるべき思考」に偏った結果、虐待という不適切な養育を受けた人間は犯罪者にならねばならないと思い込んでいてそれを言いふらしていると感じることも多いです。そういう人は他人のことよりもまず自分の差別意識や加害性に気付いて欲しいものですね。

「安全基地」と「心理的安全性」を欲している

反応性愛着障害は生きる上でここは自分のテリトリーでありここにいればひとまず安全性が確保されているという「安全基地」が必要です。それは所有する土地や住居など物理的なものであるかもしれませんし、それを提供してくれる誰かの存在かもしれません。そして人を受け入れるとしたらそれは相手に対しての人としての信頼感=心理的安全性が確保されていると感じている場合です。

多くの人は相手に対して「自分にとってメリットがある人」を「いい人」だと言いますが、私が思う「いい人」は、性的な問題行動や暴力的な気質がみられない、自制心があり基本的に穏やかな気質で倫理観がしっかりした知性的な人間のことです。

自分に対してメリットがあるかどうかよりも、人間として信頼できる人格であり裏表や疑わしい挙動が見られないかの方をはるかに重要視しています。そういう人であれば素直に信頼して好意を寄せますし、異性であれ同性であれ性的な問題行動が見られたり、欲深さや自分勝手さ、人への攻撃性や強い依存心などが顕著なほど警戒します。人を無暗に信頼しませんが、信頼できると感じれば案外すんなりと信頼します。

もしも反応性愛着障害もちと仲良くなりたいという変わり者の方がいらっしゃれば、まずは野良猫に対するような適度な距離感で、他者を交えず一対一でガチンコに向き合い、性的な魅力とか経済的・物理的なメリットをちらつかせるとかではなく、人間として信頼できる姿を示すことをお勧めします。あとライバルとかを作り出して、競争力を煽ろうとしたりしても全く逆効果です。ドーパミン報酬系の機能低下が起きているので、欲も少ないし、人と争ったり奪い合ったりするよりも譲る方を選びます。他にも大切な人がいるからなどと言われれば、自分が邪魔してはアレだから、とスーッと消えていきます。

対人関係に対して争い事を忌避し、人一倍感情過多でストレスが大きいので、複雑だったり大勢だったりは苦手で、なるべくシンプルで心が安らげる関係性を望みます。人と関わりあわないので対人スキルが低いです。

「みんなそうだから」とか「人間なんてこんなもの」というのも分かるには分かりますが、大前提として我慢してまで人と付き合わなければならないという意識が欠如しているので、一人の方がマシだと判断しがちです。我慢して生きるより死んでしまうほうが楽だと本気で考えてしまうのです。

舌打ちとか物を乱暴に扱って音をたてたり、モラハラや恫喝などで、不機嫌を振りかざして人に配慮や奉仕を要求する系の人間が一番苦手ですが、親からの支配と搾取で育った虐待育ちは一緒にいると相手がそうなってしまう確率がとても高い気がするのです。加害行為で威圧すれば、自分に奉仕をしてくれると思われることが非常に嫌です。そういう成功体験をこちら側が相手に与えてしまいがちなのかもしれません。

自分の方が強い、自分の方が立場が上であると勘違いし、傲慢になった人間の嗜虐性というのは非常に嫌らしい醜いものです。

そういう風にならない、人としての基本的な人格に対する信頼感を重視しています。

まあ基本的にそこまで頑張って愛着障害もちと仲良くなる必要性は全くないと思うのですがね。