地底海に眠る

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利己的な人間ほど損をする

たまに「何故善良な人間ほど損ばかりして、悪い人間が得ばかりするのですか」みたいなことを書き込んでいる人が散見されるのですが、私はそんなこと全然なくて、むしろ世の中って因果応報絶対あるよなって感じている人間なので、今日はそれについて深堀していきたいと思います。

そもそも100%善良な人間など存在しない

大前提として人間って完璧で何一つ間違わない人間なんていないので、完璧なる善良な人間なんてこの世には存在しないですよね。なので失敗や間違いも人を傷つけてしまうことも、沢山あると思いますし、一方からみた正義は他方から見たら暴力と感じることも多々ある。「自分はこんなに善良なのに何故損ばかりして、あいつは得ばかりしてるんだ許せない」という感情も非常に主観的なもので、自称善良な人間が本当に善良であり、妬まれている誰かが本当に悪人なのかも詳しく精査してみないと分かりません。

そして人間は過去に過ちを犯しても、自身の過ちに気付いて学び改めることで成長することもできますよね。そうやって日々学びと成長を繰り返すから人は成熟していくのだと思います。

本当に不味いのは、自分は悪くないと自己正当化し、失敗やトラブルを他人のせいにして謝らない、反省しない、自身を省みない人間です。こういう人間は何歳になっても歳だけとるだけで人間性は全く成長しません。

自分は善良であり何一つ悪くないのに損ばかりしていて運が悪いと思っている人は、はたして本当に善良な人間なのでしょうか?

禍福は糾える縄の如し

そしてもう一つの前提として、100%運が良いだけの人や、完全に悪いことしか起きない人というのも存在しません。人間生きていれば誰でもいいこともあるし、悪いこともあります。誰かのたまたまいい時や、自分のたまたまツイてない時ばかりにフォーカスして比較しても、それは主観的な認知の歪みであって事実とは言えません。

脈絡のないたまたまの運の良し悪しではなく、物事を俯瞰して見た上での、因果性と結果という形で見たら、良いことも悪いことも利益も損失も、因果応報はあると思います。それは物理法則と同じように一つ一つが関係して作用して結果となっていくからです。

認知的焦点化理論

解明! 運がない人は、なぜ運がないのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

京都大学大学院工学研究科の藤井聡教授らが提唱する「認知的焦点化理論」というものがあります。

利己的で短期的な目先の利益に駆られる人間ほど、反社会的な言動が多く、他者から嫌悪され、社会から制裁を受けたり弾かれたりしやすく、主観的な幸福感が低い。

利他的で長期的に社会の利益全体を考えるなど広い視野を持つ人間ほど、人望が厚く人が寄ってくるので何かの時には助けを得られたり、良いパートナーや良いチャンスを得たり、しいては人生全体において幸福感が高い。

つまり必然的な因果応報のなかで分かりやすく「運」の良さや悪さが理論的に説明できるということです。

野球のゴジラ松井の愛称で有名な松井秀喜さんは現役引退後、現在はニューヨークヤンキースGM付特別アドバイザーとして活躍されているそうですが、松井選手はヤンキースで大活躍したものの契約が終了しその後エンゼルスと契約、のちに米メディアは「ヤンキースが手放すのが早すぎた選手」の一人として彼の名前を挙げ、エンゼルス側として対ヤンキース戦に挑んだ時にもニューヨークのファンや友人たちが暖かく迎えハグや祝福をして大歓迎したと言われています。現役を引退した今でも彼のニューヨークでの人気は絶大だそうです。

勿論彼の野球の実力が凄いということはあるのですが、才能のある人間であれば誰でもこのように人々から愛される人になれるということはありませんよね。その世界にいけば自分より上の人は沢山いるし、上手くいかないこともあれば衰えていくこともある。彼は人間としての人柄の良さや善良さ、誠実さがずば抜けているから、生まれ育った場所ではない外国ででも、ここまで広範囲に人から信頼され良い人間関係を築くことが出来るのだと思います。

(こんな風に対比するのはアレですが)逆に清原和博さんは全盛期の頃は「王選手を超えるのは彼しかいない」とまで言われるようなずば抜けた才能で大注目された人ですが、覚せい剤取締法違反で逮捕され、現在は薬物の後遺症に悩まされながら鬱状態が続いている状態だそうです。あれほどに大きな体躯で強そうな人が、今は人前に出ることが怖いと吐露しているんですよね。

衝動性とセロトニン不足

人間に穏やかな幸福感や精神的な安定をもたらすセロトニンですが、これが不足している人ほど脳の高次機能による制御が働かなくなり、本能的な欲望による衝動性が高まり、短絡的で破滅的な行動選択を行うようになるといわれています。

そもそも生まれつき脳の高次機能のスペックが低いという人もいますし、強いプレッシャーやストレス、悪い人間関係、乱れた生活習慣やアルコール、タバコ、薬物などで脳機能やセロトニン分泌に悪影響がある場合もあると思います。

いずれにしろ反社会的な逸脱行為が多い人は主観的な幸福感がとても低いと言われています。

類は友を呼ぶ

俗にいう2:6:2の法則というものがあり、多様性の世の中なのでどのような人間であっても必ず、好きという人もいれば、無関心な人もいるし、嫌いという人もいます。自然と付き合いの中で、価値観の合う心地良い者同士が交流するようになり、価値観の合わない人間は離れていくようになっているんですよね。

なのでどんな善良な人間でも、あいつは気に食わないと敵対する人間は存在するし、どんな悪人であっても同じ価値観の人間は集まってくると思います。

また、利他的で良い人間関係が築ける人は誰と交流するかの選択肢が広いので、自分で付き合う人を選ぶことが出来ますが、利己的な人間は人が離れていくし群れから弾かれていくので選択肢がとても少ないです。

その為一人でいるよりマシだからという理由で選択の余地が無く、いがみ合ったり苦しめあう関係性でも離れることが出来ないし、お互い利己的で他者への思いやりがないので悪い関係性が深刻化しやすい。

共依存にあるような、人に尽くしている一見「いい人」に見える人であっても、問題を精査すると実は強すぎる自己有用感や過干渉などの利己的な欲求が根底にあることで、倫理観が欠如していたり曲がったことを肯定していたりと誠実さが無い場合も少なくないんですよね。

世の中って利己的であることを自覚している人間より、自覚のない無意識の利己主義の人の方が実はとても多い気がします。

倫理観や善悪の区別がつかない人は、その場その場の感情で前言ったことと真逆のことを言っていたり、筋が通らない判断や言動をしがちですが、その根底に無自覚な利己主義の損得勘定が判断基準として根付いていることも少なくありません。そういう人は、人には厳しいのにいざ自分の立場になったらその批判していた行動を簡単にやってしまったりするんですよね。そしてその時には自己正当化する。

利己的な人間は、言ってることに一貫性が無かったり、遅刻が多かったり(待たせる人間への配慮が無い)、責任を果たさずバックレたり、女性であれば女を武器にして男にすり寄り得しようとしたり切り抜けようとしたりと、結構分かりやすいです。

また、実験では多くの人は写真を見ただけでその人間が「善人」か「悪人」かを見抜くことが出来るのだそうです。単純な顔の造作や体つきとかではなく、人間性って目つきや表情に現れるんですよね。

犬なんかも善人と悪人を見分ける本能が備わっていると言われます。

悪人を見抜く!? 最新科学で読み解く、犬の「第六感」|いぬのきもちWEB MAGAZINE

経済的な成功や地位が全能感をもたらし特権意識が逸脱行為に拍車をかける

芸能界や経済界などは成功すれば莫大な経済力を手に入れることが出来るので、こういう世界で生きる人は気が強くて全能感が高い人間が多いです。基本的にその全能感が自信となり、欲望が強くてなりふり構わない利己的な人ほど経済的には成功しやすい傾向がありますし、利他的で欲望が薄い人はそもそもそんなに経済的成功には興味がないと思われます。なので人の目につきやすい経済的な成功者は利己主義者が多くなりがちですが、スキャンダルや逸脱行為から制裁を受けて転落していく姿を見ることも本当に多いですよね。ネットニュースなんかそんなことばかりに見えます。

しかし先に挙げた松井秀喜さんであったり、あとは私個人的に一度も醜聞を聞いたことが無いB’zのお二人とか、あれだけの功績がありものすごい活躍を長期的にしていながら、全く醜聞が無い人というのは話題にならないから気付かれにくいだけで、実際にはちゃんと存在しています。

経済的成功や才能による成功があると人間は傲慢になり、イエスマンに囲まれてちやほやされて神輿に担がれるので、特権意識が生まれて本性が出やすい。

そういう中でも思い上がらず、謙虚で倫理観がしっかりしている人間というのは決して道を踏み外しません。素の性質が他害行為を悦ばない、そもそもの感性が善良なんですよね。

周囲を不幸にする人間は実在する

なぜ人間には悪人や利己的な人間を見抜いて弾こうとする本能があるのかといえば、それはやはり共にいると害がもたらされるからですね。

裏切られる可能性も高いし、トラブルを起こすリスクも高い、子供や家族など大切な存在が傷付けられ脅かされる危険性、財産や大切なものを奪われたり壊されたりする危険、奉仕や配慮を搾取される恐れ。共助共栄ではなく、自分だけが得しようとか、他の人間を蹴落としたり不幸を喜ぶ性質があるのですから、余程のマゾで不幸が大好きでなければ普通一緒に居たくはないでしょう。一緒に居たがるのは「このダメ人間には自分がいなければならない」という自己有用感を満たしたい欲求が強すぎる人だけです。

利己的で他害行為のある人間と共にいると、人から嫌われたり、人間関係で揉め事を起こしたり、暴力を振るわれたり、裏切られたり、搾取されたりと嫌なことばかりあるので、精神的にも疲労していくし、気持ちも暗くなるしと、周囲の人間はどんどん不幸になっていきます。

その上、善良で芯のある人ほどそういう人たちとは関わり合いを避けるので、良い人ほど去っていき、同じような人間ばかりが残っていくことになります。

逸脱行為が多いほど社会から弾かれていきますが、同じ利己主義で集まると、例えば性的な利益とそれを提供することで得られる見返りや、媚びることで物質的な見返りがもらえる、問題行動を起こす人間とそれによって自己有用感を満たされる共依存などの相互利益がある関係性でがっちりと固まるので、何か問題があっても、自分たちを弾く社会が悪い、自分たちは悪くないと、自己憐憫や自己正当化、他責他害の心理が働き、自浄作用が働きません。

人間にはミラーニューロンという共感性の脳の働きがあるので、一緒に居る人と言動や価値観も影響されて似てくるし、周りからも同類だと思われる。

一緒にいるとどんどん不幸になる、この人といるとなんだか悪いことが起こるというのは実際にあるんですよね。

悪いことを悪いと指摘することは究極の利他行為

子供の頃は親や教師などが叱ってくれたりしたものですが、大人になると叱ってくれる人がいなくなります。

特にそれなりに経済力や立場が出来てくると、どんどん誰も悪いことを指摘してくれなくなる。なので中年、高齢となればなるほど自分の問題に気付くことが出来なくなり、関係性も偏っていくし、その人の悪いところがトラブルとして顕在化してきて最後には取り返しがつかなくなっていってしまいます。

若気の至りと言われているうちに気付いて改めることが出来ればいいのですが、芸能界などでももう手遅れなイタいおじさんおばさんが沢山いますよね。

週刊誌とSNSによってネットリンチの大混乱が起きやすい世の中だと、正義の暴力が人を自殺にまで追い詰めることも少なくないので、正しいことを指摘することや悪いことを悪いと叱ることがその騒動に埋もれてまるで悪のように思われがちなんですが、本当に相手の為を思って行動する人は、嫌われることを恐れず悪いことは悪いと指摘する強さがあると思います。そして相手を追い詰めすぎない優しさや配慮もあると思います。

物事には長期的な視野が必要

何事もそうですが、例えば作物を育てるのにも種をまいたら数日で簡単に収穫なんてことは殆ど無く、遡れば沢山の先人たちが収穫量を上げる為に土壌や育て方の研究や品種改良したりとコツコツ積み重ねてきたことも含めて、何事も収穫までには長い時間が必要となります。そういう長期的な視野が持てない短絡的で利己的な人間は、他人が育てた作物を奪うことしか考えない。

今目の前でコツコツ積みかさねてきた努力を奪われた善良な人間と、それを奪って一時の欲望を満たした悪人とを見たら、確かに短期的には「善良な人間は損をし、悪い人間ほど得をしている」と思うかもしれません。

しかしやったことには必ずそれ相応の報いがあります。コツコツ積み重ねてきた人は得たスキルや知識がありますから、何度でも立ち上がることが出来(成功に対しての再現性が高い)ますが、他者から搾取することしかできない人間はそうそう何度も同じことが成功するわけではありません(成功の再現性が低い)。人から恨みを買うので何かの時には復讐されたり、返り討ちに遭うこともあるし、社会から制裁を受けたり、人からの信頼を失って群れから弾かれたりすることになります。

また人望がある人は困ったときには助けてもらえる可能性が高いですが、逸脱行為を繰り返して反省もしないような人は、迂闊に関われば酷い目に遭わされると思うので大抵の人は関わろうとしません。

何が「得」でなにが「損」なのかは視野の狭さや広さ、視座の低さや高さで全く異なります。利己主義な人ほど目先の短絡的な物事にとらわれて、長期的な視野がもてません。

公正世界仮説

公正世界仮説とは「良いことをすれば良いことがある」「悪いことをすれば悪いことがある」と無意識に考える認知バイアスの一つです。これが行き過ぎると災害や病気で苦しむ人を何か悪いことをしたからこのような酷い目に遭っているんだというような、人でなしの思考回路になったり変なカルト宗教に引っかかったりなど悪い側面もあるのですが、ボランティアや寄付を行ったりお互い助けあったりと積極的に良いことをしようという気持ちや、悪いことは罰が当たるからやめておこうと欲望の抑制につながったり、それが人の幸福感を高めたりと良い側面もあります。

その公正世界仮説認知バイアスがあると、最近ツイてないなとか、ケガが多いとか、不調が続くとか、何かしら悪いことが起きたときに「自分の行いの中になにか良くないことがあるのでは?」「大きなものからの何かのお徴では?」というような自己を省みる切っ掛けになることがあります。

それによって自分自身の行動や関係性を省みて改めたり、生活習慣などを健康的に改めたりといったことが出来ると、また精神や身体の状態が回復して良い状態に持ち直すことが出来るんですよね。

例え不運に見舞われても、考え方次第でそれを自分の人生を良い方向にもっていくことが出来る良いチャンスにできるかもしれません。