地底海に眠る

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不幸なギバーと幸福なギバー

他者から搾取するテイカーは人生の幸福度がとても低いと言われますが、一方他者に与えることをするギバーには、不幸なギバーと幸福なギバーがいると言われていることをご存じでしょうか。不幸なギバーは搾取するテイカーよりも人生の幸福度が低いと言われます。今日は不幸なギバーと幸福なギバーの違いについて深堀したいと思います。

「幸福な王子」は不幸なギバーの代表格

オスカー・ワイルド作「幸福な王子」という物語をご存じでしょうか?宝石をちりばめた煌びやかな王子の像が世の中の貧困や不幸に悲しむ国民に心を痛めて、自分自身の身を削って施しを与え最後は「みすぼらしいから」と捨てられてしまうというお話です。これは自己犠牲と悲壮を感じさせる名作とされていますが、読んだ後に絶望を感じる人も少なくないのではないでしょうか。

何故自己犠牲を厭わない心優しいものが一番不幸で悲しい存在になってしまうのか。オスカー・ワイルドはなぜこのようなお話を書いたのでしょう?

自己憐憫には中毒性がある

涙がもたらす健康効果 | いわい中央クリニック

悲しい時やストレスが溜まった時に涙を流すと、ストレスホルモンであるコルチゾールが涙によって排出されるのでストレスが緩和されるという効果があります。また、涙を流した後には脳内モルヒネとも言われる強い鎮静効果や多幸感を感じさせるエンドルフィンという脳内ホルモンが分泌されます。

適度な範囲内での涙はストレスを緩和して心を整えるのにとても有用です。しかし実はこのエンドルフィンというのは非常に中毒性が高いもので、このエンドルフィンの依存症の人というのが少なからず存在しています。

食べるとスッキリするから激辛が大好きとか、筋トレマニア、サウナの整うという感覚もエンドルフィンの作用ですが、中にはリストカットや薬物の多量摂取などの自傷行為や、SMプレイで暴力を受けることでエンドルフィンを分泌させる命に係わるような危険なレベルまでの倒錯的な中毒者も少なくありません。

強い苦しみを感じさせる努力によって達成感を感じる人や、自分の不幸を嘆き悲しみ何度も何度も反芻しては人に愚痴を聞かせ続け、その度に涙を流す人もエンドルフィン中毒者です。

自傷行為や自己犠牲というものが依存行動になってしまうと、もうその人は不幸であることから脱することは出来ません。いわゆるマゾヒズム。不幸体質です。

強い自己有用感や承認欲求と自己憐憫

実際のところセロトニンオキシトシンによる穏やかな幸福とはまったりとしていて怠惰でもあり、あまりにも刺激が少ないものです。

それに比べると、自己有用感や承認欲求などの欲求を満たすドーパミンや、自己憐憫や痛みがもたらすエンドルフィンの多幸感は超刺激的です。

ですがそのような目先の刺激に振り回されていると、いつの間にかどんどん不幸になっていき何もかもが上手くいかない、何も得るものが無く人生の幸福度が著しく低いという状態になりかねません。

目先の刺激に囚われて建設的な選択が出来なくなる状態のことを「遅延報酬障害」或いは「抑制機能の低下」などと言います。ギャンブル依存症アルコール依存症、性依存症など、様々な依存症において脳の高次機能の抑制機能が低下し、目先の欲に囚われて将来の為の長期的・建設的な行動選択を行うということが出来なくなることが指摘されています。

強すぎる刺激は脳にダメージを与えるのです。

幸福なギバーは犠牲を払わない

ギバーとは「見返りを要求せず与える人」のことを指します。この「見返りを要求」というのは「あの時やってあげたんだからお返ししてよ!」とか、性行為目的で貢いでフラれたら「今まで貢いだ分返せ」などと言い出すような、恩着せがましくしたり、自分の欲望を満たす為の手段として他人に媚びたり尽くしたりして、目的が達成されなかったら怒りだして攻撃するような行動のことです。これは単なるテイカー、或いはマッチャー(ギブ&テイクの人)です。

そういう露骨な浅ましい言動をしない、思いやりや優しさがある人のことをギバーといいます。

不幸なギバーは先に挙げたようなエンドルフィン中毒や、自己有用感や承認欲求などが強すぎて、自己犠牲や大切な存在や物を疎かにしてまで他人に与えようとする人です。彼らは一見自己犠牲精神のあるとても優しい人のように見えますが、実際は自分自身や自分の身内などを蔑ろにする鏡に映った逆テイカなのです。

例えば野良猫保護に力をいれている人がいるとして、可哀そうだからとどんどん保護猫を引き受けることで多頭飼育崩壊になる人がいます。これによって自分自身も保護される猫も結局は不幸になってしまいます。

人にいい人と思われたいとかいい恰好したいという欲求が強すぎて、他人に過度に入れ込み尽くす一方で、自分のパートナーや子供には「それくらい我慢しなさい」「わがままを言うな」と犠牲を払わせる人や、人前で自分の身内を貶し相手を気分良くさせて、それが謙遜だと考える人がいます。それによってパートナーや子供の心を傷つけ、信頼を失い、家族は不幸になります。

幸福なギバーは優先順位を明確にしています。まずセルフケアをして自分自身をしっかりと健康で幸福にすることが出来ます。そしてパートナーや子供やペットなど身内を守りケアします。己は無力であり、自分には大きな力は無いということを自覚していますし、他者への思いやりは自分や家族などを犠牲にしてまで行う必要は無いということを弁えています。他人から搾取しないだけでなく、自分自身や身内からも搾取しないのです。無理のない範囲で、できる程度の手助けを行っているだけだから、別に見返りも要らないのです。

授人以魚 不如授人以漁

「幸福な王子」は貧困に苦しむ国民を憐れみ自己犠牲を払って宝石を与えましたが、しかし結果としては目も見えなくなりみすぼらしいからと捨てられ、一時しのぎに宝石を与えたとしても国の治世が悪かったり、自立する能力がなければ、また貧困に苦しむことになるでしょうし、宝石をもらわなかった人は変わらず貧困に苦しみ続けているだけです。

オスカー・ワイルドがどのような意図を込めてこの話を書いたのかは私には分かりませんが、この話を読んだ後の絶望感は、結局誰も幸福になっていないところにあるような気がします。

飢えている人に一匹の魚を与えたとしても明日にはまた飢えに苦しむことになりますが、魚の採り方を教えればその人は自立して生きていくことが出来るようになります。

本当のギバー精神とはどんなものなのか。少なくとも自分や身内を犠牲にする人は決して「幸福」とはいえませんよね。