地底海に眠る

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クズやビッチばかりモテるように見えるのは何故?

ニュースサイトのコメントなんかを見ていると、離婚や恋愛の揉め事の記事なんかに「そんなクズと付き合う方が悪い!」とか「女は優しい男は退屈だと言って、クズばかりがモテる」という女を呪う呪詛が書き込まれているのをよく見かけますw

自称「優しい男」が本当に優しいかどうか(見返りを求める媚びと、本質的な優しさは全く異なる)はおいておいて、今日はなぜクズやビッチほどモテる(色恋沙汰の機会を多くゲット出来る)ように見えるのかについて解説したいと思います。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

クズやビッチというのは基本的に自分ひとりでは生きていけないタイプの人間です。孤独であることを嫌って、暇さえあればとにかく手あたり次第に異性を掘りまくります。利用したら美味しい思いが出来そうだと思えば手間暇を惜しまず積極的に関わりを持とうとしますし、マッチングアプリやバーやクラブで異性に近づいたり、あまり接点がなくても手紙を送ったりなどとにかくマメで、距離感を感じさせずに懐に入り込み甘えたり頼ったりします。

賢い人は相手の本質を見抜くので、警戒して深入りしないし、こいつやべえなと気づいた段階で距離を取りますが、見抜けない人や人生経験の乏しい人は、そういう人がいかにやばいかを知らないので、そういう人を「優しい」とか「自分のことが好きなんだな」と簡単に信用してしまい懐いてしまいます。100人に声をかけてそのうち数人が釣れればそれでいいのです。そもそも声をかける相手に対して自分の利益を得ることしか考えていないので、フラれても距離置かれても全く傷ついたりしません。クズやビッチにとっては利用価値があれば相手は誰でもいいのです。相手を特別に愛したりはしません。彼らが愛しているのは自分だけです。

美味しい蜜には罠がある

prtimes.jp

ツパイがウツボカズラに引き寄せられるように、クズやビッチというのは基本的に獲物をおびき寄せる為に「美味しい蜜」をちゃんと用意しています。整形やダイエット、ブランドものを身に着けるなど、獲物の「欲望」を刺激する為の準備は怠りません。100人でも200人でも暇さえあれば声をかけるのでコミュニケーションスキルもそれなりに磨かれます。狩りが上手くいきやすいターゲットを把握したり、どう振舞えば落とせるかなど、どんどん洗練されていきます。そして獲物がツボに落っこちたらラッキーとばかりに残酷に食い尽くすのです。

(ざんねんないきもの辞典はよく子供に読み聞かせするのですが、面白い情報が満載で大人も面白いです)

究極の永久機関

彼らの与える「蜜」は性的な価値(性欲を感じる、人に自慢できる)だけではありません。多くの人たちはクズやビッチとは距離を置きますが、中には彼らが与えてくれる「蜜」が麻薬のように依存性をもたらし離れられなくなってしまう人もいます。それは「自己有用感」です。

いわゆるダメンズウォーカーに非常に多いのですが、「こんなに積極的にぐいぐい来てくれるのは彼が私のことを大好きだから」「彼には私がいなければダメ」「こんなに求めてくれるのは彼しかいない」などと、他者を支配搾取しようとするクズの積極性を自分への愛だと誤認し、それによって自己有用感が満たされて自分の存在価値が強く感じられる為に、それを感じさせてくれるクズを手放すことが出来なくなってしまうのです。

そこまでのどっぷりした共依存状態に陥ってしまうともう逃れられません。お互いに欲望を満たしあう離れられない地獄の永久機関の完成です。

ビッチに引っ掛かりやすい男性も、自分はいい人間であると思いたいし思われたいという承認欲求が非常に高いです。美人系ビッチの周りには自称ヒーローがうようよしています。自称ヒーロー男性は自分が如何にいい人間であるかアピールが露骨なのですぐわかります。

穏やかな日常は心に残りにくく、揉め事は感情を強く揺さぶる

多くの人は穏やかで何もない日常に満足することが出来ません。退屈を感じて激しい刺激を求めがちです。特にタバコやアルコールなどのドーパミン受容体を増やす薬物を好むタイプの男女は穏やかな幸福を感じる感度が鈍くなっていますから、ドーパミンを強く刺激してくれる依存行動を求めがちです。

ジェットコースターのような激しい感情の上り下りや、強い渇望がより欲望を掻き立てます。何事もそうですが満たされているものよりも与えられずに強く欲しているものほうが執着が強まるのです。

まとめ

単に性的魅力がありモテるというだけではクズとかビッチとは言われません。反社会的な言動や倫理観の欠落、自己中、支配と搾取、他者への思いやりがない、人を傷つけたり争いが絶えない、責任感が無い、性的にだらしない、揉め事を起こすなど、クズとかビッチと言われるには言われるだけの理由があるわけです。

しかしそういう風にしか生きられない人、そういう人に巻き込まれることで自己有用感が満たされたり、退屈を感じずに済んだりする人もいるという意味では、彼らには相互利益があるとも言えます。

どんな生き方をするかは全て自分の自由であり、またそれに付随する良いことも悪いことも全ては結局自分が責任を負うだけです。

クズやビッチばかりモテる!と他人を羨んだり呪ったりするのは果たして意味のあることなのでしょうか?私はあまりそんな界隈には関わりたくありませんし、全然羨ましくは感じません。面倒臭そうです。

本当に「優しい」のであれば、その優しさを良いと思ってくれる人との出会いがきっとあると思います。人間は同じレベルでしか付き合えないのです。