地底海に眠る

このブログはアフィリエイト広告を掲載しています

地球には80億のパラレルワールドが存在している

自殺者が出るなど深刻な事態を招きかねない誹謗中傷問題。スマイリーキクチさんが、2ちゃんねるで殺人事件の犯人であると嘘を書かれ、それを沢山の人が信じてしまった事で芸人としての仕事を失った件なども有名ですが、一体何故このようなことが起こるのか、嘘を書き込む人は一体何が目的なのかについて深堀していきたいと思います。

そもそも人間の記憶は正確とは限らない

人間の脳は生きていく上で重要な情報を取捨選択する為に、ドーパミン報酬系扁桃体などの感情や高揚感などと結びついた情報を長期記憶として保存します。興味が無いこと、心が揺さぶられない情報はスルーしたり直ぐに忘れてしまったりしやすい。

更には目の前で起きた出来事や状況について一瞬で全てを把握することは到底不可能であり、興味を持って注目したものが記憶に残りその他は曖昧な把握とならざるを得ません。その曖昧な部分、断片的な情報の集まりを、脳は「想像」で補ってまるでひとつながりの物語のようにまとめて処理します。その「物語」は脳の個性、いわばその人の人格によって一つひとつ異なる。それが人が、事実とは異なる、主観的な歪んだ記憶を生み出してしまう原因なのです。

脳も身体の器官のひとつであり、能力や状態に個体差がある

足が速い、力が強いなどの身体能力は分かりやすいですが、知能や精神といったものは目に見えた証明がし難い。しかしそれらは「心」や「魂」などではなく、「脳」という臓器によるものであり、脳は生まれ持った能力や、人格の癖、育った環境要因や、病気等によって人それぞれ個体差があります。

ja.wikipedia.or

事故で脳を損傷したことにより「もはやゲージではない」といわしめたほど人格が変貌したフィニアス・ゲージは非常に有名な事例ですが、現在では交通事故や脳梗塞等により脳の損傷を受け、気質や人格が変わってしまったという話を聞くことは珍しくないかもしれません。

このような大きな損傷でなくても、ドーパミンセロトニンなどのホルモンの分泌や受容体、生まれつきの特性やストレスなどの外的要因による部位の機能低下など、様々な要因で脳の状態は影響を受けています。

認知症鬱病統合失調症、依存症、発達障害心身症なども身近な脳機能のトラブルです。

統合失調症というと非常に特殊な怖い精神疾患と思われがちなんですが、状態には個人差があり軽度の人も含めると100人に1人はいると言われ、またもともと持っているドーパミン過活性やアルコール・タバコ・薬物等の外的要因による「傾向」を持つ人は潜在的にはかなり多いのではないかと思っています(統合失調症ドーパミン過活性とミクログリアの炎症が要因ではないかとされています)

ドーパミンは、例えばある場所で美味しい実がなる木を見つけた時に高揚感と共に分泌され、それが海馬で情動記憶となり、食料を確保できる生存に深く関わりがある情報として大脳皮質に記憶されるというような、「有用な情報」を記憶するのに関与します。しかしドーパミンが過活性する(統合失調症傾向が強まる)と、本来なんの価値もない情報にまで過剰に反応してしまい、「足りない情報」は勝手に妄想で補い、根拠の乏しい「物語」を作り上げ、それを信じ込んでしまう。

ネットの掲示板等で最もよく見かけるのがこうした「嘘(妄想)」による誹謗中傷です。

メディアなどでよく見かける有名人は、視聴者側からみたらまるで「よく知っている人」かもしれませんが、関係性も接触も無い無関係な人間が知り得る情報などはほんの断片であり、それだけで全てを理解することなど到底不可能です。

しかし「分からない」ことを「分からない」と認識する能力が乏しい人は、自分が「分からない」と自覚することが出来ず、思い込みや体験等の全く別の情報から持ってきた「妄想」で欠けた情報を補って勝手に物語をでっちあげてしまうのです。

これは人間の脳がもともともっている動きではあるのですが、同じ脳が作り出した「物語」であっても、それが巻き込まれる側にとって「心地よい物語」であるか「攻撃的な物語」であるかは天と地ほども違います。

私たちが2つの目をもっているのは、広い視野(より多い情報)と、左右の目から異なる角度で見ることによって3D画像を処理し、距離感を掴む為です。それと同じように、広い視野と様々な視点をもつことで、得られる情報はより精密で事実に近いものとなります。

視野が狭く一点からしか見られない人ほど、情報は曖昧で事実とは程遠いものになってしまいます。

「分からない」ことは「分からない」のだと気づくことも重要な視点の一つ(メタ認知能力)であり、また「ネットでみかけたこの情報は信用できるかどうか」を情報の取捨選択することも非常に重要な能力です。

こうした情報収集や情報分析、情報発信の能力も、脳機能のスペックの個体差があるのです。

ネットは人の脳の世界を可視化させる

リアルの世界では人の心というのはなかなか分かりません。声や表情、関係性や過去の情報などから相手の心を推測して「想像して補う=察する」というのは、言葉を変えれば社会的認知力ということでもあり、これはコミュニケーションや、言葉を話せない赤ちゃんを育てるのにはとても重要な能力です。

だから「察する」能力=断片的な情報から物語を作る能力そのものは、決して不必要なものではありません。むしろ「察せない人」はリアルな社会ではコミュニケーション不全によりトラブルや孤立など、生き難さを抱えるリスクが高い。

問題はその能力が正常に働いているか、精密で誤差が少ないか、良い関係性をもたらしているか、生存においてメリットとなっているかどうかです。

情報収集能力が乏しく、また、わからないことについては「判断するには情報が足りない」と自覚するメタ認知能力が無い、得た情報を的確に取捨選択したり分析する能力が乏しい、情報発信する時にそれがどのように波及しどのような結果をもたらすかという先を読む力が無い、人格的に人を痛めつけたり騙したりすることに愉悦を感じる気質である等、ネットでトラブルを起こしやすい人間にはある種の傾向があるわけです。

人と人との物理的距離がなくなり、リアルの世界では全く関わりの無いような人ともネットでは関わることが可能になりました。ネット利用者の中でトラブルを起こす人は実は0.01%未満であるとも言われていますが、そうしたごく一部の脳機能にハンデを抱えた人間が執拗な執着や攻撃性でひたすらにネガティブな発信をし続けているというのがネットの誹謗中傷問題の実態なのです。

誰かの「妄想」を大多数が信じ込んでしまったら、既成事実がでっちあげられてしまうのは結構怖い

スマイリーキクチさんの件でも分かる通り、それが事実無根の嘘であったとしても一度棄損された名誉を回復することは難しいし、それによって仕事が奪われたなどの機会損失はもう取り戻すことは出来ません。こぼれてしまった水はもう二度と器には戻らないのです。

また、ジャニー喜多川の性的加害行為に関して言えば、多くの関係者が多かれ少なかれ聞き及んでおり裁判においても事実認定されていたにも関わらず、被害者側の訴えを無視したり、嘲笑したり、嘘だと決めつけたりすることで「無かったこと」にされてしまう。経済的強者とそれに阿る者たちが結託することで、「性的加害行為は無かった。被害者は嘘をついている」という「歪んだ物語」が既成事実としてでっちあげられていたわけです。

そもそも日本の法律には、それが事実であろうが無かろうが、不名誉な情報について公の場で言いふらして名誉を棄損すること自体が私的制裁とみなされて、賠償金支払いや刑事罰などが科せられるようになっています。日本は法治国家なので、裁判や警察への被害届などトラブルは法的に解決することが望ましいものであり、言い触らすことで名誉を棄損してリンチし社会的制裁を与えるのは望ましくないからです。

特に深刻な他害行為、法的逸脱行為に関して言えば、なおさら物事はケースバイケースです。犯罪者であるという指摘が事実か嘘かは、第三者が客観的に調査して立証されなければ判断できません。

国民総ネット時代に必要なネットリテラシーとは

国民の94%がスマホを持っているという総ネット時代において、人と人との物理的距離がゼロになり、それぞれに異なる認知世界を持った脳の可視化によって、ネットの世界には情報が溢れかえっています。日本語社会だけでも1億のパラレルワールドが広がっているともいえるわけです。

その膨大な情報のチリは類似した脳の反応同士やミラーニューロンの共感性などの「重力」で引き寄せられて集まり、ひとつの惑星のように世界を構築していきます。その中で発信と共感がエコーチェンバーとなり、その世界はより特性を強めていく。

多様性の社会において、どんな価値観を持つか、何が心地良いか、どんな人が好ましいかは個人差がありますが、情報が可視化されたネット社会においては発信や関わり方は人間性としてモロに露出するし、それが他者を苦しめたり、法的なトラブルに発展するリスクもあるわけです。

近視眼的に目の前に現れた情報にひたすら反応することを繰り返して、全体を広く多角的に見渡すことが出来ないと、自分が今どこに立っているのかを見失ってしまい、知らず知らずのうちに誰かの狂った妄想の世界に引きずり込まれてしまうかもしれません。

そして逆に、楽園のように美しい心地良い世界を自分が創り出すこともできるような気がするのです。