地底海に眠る

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不幸なギバーと幸福なギバー

他者から搾取するテイカーは人生の幸福度がとても低いと言われますが、一方他者に与えることをするギバーには、不幸なギバーと幸福なギバーがいると言われていることをご存じでしょうか。不幸なギバーは搾取するテイカーよりも人生の幸福度が低いと言われます。今日は不幸なギバーと幸福なギバーの違いについて深堀したいと思います。

「幸福な王子」は不幸なギバーの代表格

オスカー・ワイルド作「幸福な王子」という物語をご存じでしょうか?宝石をちりばめた煌びやかな王子の像が世の中の貧困や不幸に悲しむ国民に心を痛めて、自分自身の身を削って施しを与え最後は「みすぼらしいから」と捨てられてしまうというお話です。これは自己犠牲と悲壮を感じさせる名作とされていますが、読んだ後に絶望を感じる人も少なくないのではないでしょうか。

何故自己犠牲を厭わない心優しいものが一番不幸で悲しい存在になってしまうのか。オスカー・ワイルドはなぜこのようなお話を書いたのでしょう?

自己憐憫には中毒性がある

涙がもたらす健康効果 | いわい中央クリニック

悲しい時やストレスが溜まった時に涙を流すと、ストレスホルモンであるコルチゾールが涙によって排出されるのでストレスが緩和されるという効果があります。また、涙を流した後には脳内モルヒネとも言われる強い鎮静効果や多幸感を感じさせるエンドルフィンという脳内ホルモンが分泌されます。

適度な範囲内での涙はストレスを緩和して心を整えるのにとても有用です。しかし実はこのエンドルフィンというのは非常に中毒性が高いもので、このエンドルフィンの依存症の人というのが少なからず存在しています。

食べるとスッキリするから激辛が大好きとか、筋トレマニア、サウナの整うという感覚もエンドルフィンの作用ですが、中にはリストカットや薬物の多量摂取などの自傷行為や、SMプレイで暴力を受けることでエンドルフィンを分泌させる命に係わるような危険なレベルまでの倒錯的な中毒者も少なくありません。

強い苦しみを感じさせる努力によって達成感を感じる人や、自分の不幸を嘆き悲しみ何度も何度も反芻しては人に愚痴を聞かせ続け、その度に涙を流す人もエンドルフィン中毒者です。

自傷行為や自己犠牲というものが依存行動になってしまうと、もうその人は不幸であることから脱することは出来ません。いわゆるマゾヒズム。不幸体質です。

強い自己有用感や承認欲求と自己憐憫

実際のところセロトニンオキシトシンによる穏やかな幸福とはまったりとしていて怠惰でもあり、あまりにも刺激が少ないものです。

それに比べると、自己有用感や承認欲求などの欲求を満たすドーパミンや、自己憐憫や痛みがもたらすエンドルフィンの多幸感は超刺激的です。

ですがそのような目先の刺激に振り回されていると、いつの間にかどんどん不幸になっていき何もかもが上手くいかない、何も得るものが無く人生の幸福度が著しく低いという状態になりかねません。

目先の刺激に囚われて建設的な選択が出来なくなる状態のことを「遅延報酬障害」或いは「抑制機能の低下」などと言います。ギャンブル依存症アルコール依存症、性依存症など、様々な依存症において脳の高次機能の抑制機能が低下し、目先の欲に囚われて将来の為の長期的・建設的な行動選択を行うということが出来なくなることが指摘されています。

強すぎる刺激は脳にダメージを与えるのです。

幸福なギバーは犠牲を払わない

ギバーとは「見返りを要求せず与える人」のことを指します。この「見返りを要求」というのは「あの時やってあげたんだからお返ししてよ!」とか、性行為目的で貢いでフラれたら「今まで貢いだ分返せ」などと言い出すような、恩着せがましくしたり、自分の欲望を満たす為の手段として他人に媚びたり尽くしたりして、目的が達成されなかったら怒りだして攻撃するような行動のことです。これは単なるテイカー、或いはマッチャー(ギブ&テイクの人)です。

そういう露骨な浅ましい言動をしない、思いやりや優しさがある人のことをギバーといいます。

不幸なギバーは先に挙げたようなエンドルフィン中毒や、自己有用感や承認欲求などが強すぎて、自己犠牲や大切な存在や物を疎かにしてまで他人に与えようとする人です。彼らは一見自己犠牲精神のあるとても優しい人のように見えますが、実際は自分自身や自分の身内などを蔑ろにする鏡に映った逆テイカなのです。

例えば野良猫保護に力をいれている人がいるとして、可哀そうだからとどんどん保護猫を引き受けることで多頭飼育崩壊になる人がいます。これによって自分自身も保護される猫も結局は不幸になってしまいます。

人にいい人と思われたいとかいい恰好したいという欲求が強すぎて、他人に過度に入れ込み尽くす一方で、自分のパートナーや子供には「それくらい我慢しなさい」「わがままを言うな」と犠牲を払わせる人や、人前で自分の身内を貶し相手を気分良くさせて、それが謙遜だと考える人がいます。それによってパートナーや子供の心を傷つけ、信頼を失い、家族は不幸になります。

幸福なギバーは優先順位を明確にしています。まずセルフケアをして自分自身をしっかりと健康で幸福にすることが出来ます。そしてパートナーや子供やペットなど身内を守りケアします。己は無力であり、自分には大きな力は無いということを自覚していますし、他者への思いやりは自分や家族などを犠牲にしてまで行う必要は無いということを弁えています。他人から搾取しないだけでなく、自分自身や身内からも搾取しないのです。無理のない範囲で、できる程度の手助けを行っているだけだから、別に見返りも要らないのです。

授人以魚 不如授人以漁

「幸福な王子」は貧困に苦しむ国民を憐れみ自己犠牲を払って宝石を与えましたが、しかし結果としては目も見えなくなりみすぼらしいからと捨てられ、一時しのぎに宝石を与えたとしても国の治世が悪かったり、自立する能力がなければ、また貧困に苦しむことになるでしょうし、宝石をもらわなかった人は変わらず貧困に苦しみ続けているだけです。

オスカー・ワイルドがどのような意図を込めてこの話を書いたのかは私には分かりませんが、この話を読んだ後の絶望感は、結局誰も幸福になっていないところにあるような気がします。

飢えている人に一匹の魚を与えたとしても明日にはまた飢えに苦しむことになりますが、魚の採り方を教えればその人は自立して生きていくことが出来るようになります。

本当のギバー精神とはどんなものなのか。少なくとも自分や身内を犠牲にする人は決して「幸福」とはいえませんよね。

利己的な人間ほど損をする

たまに「何故善良な人間ほど損ばかりして、悪い人間が得ばかりするのですか」みたいなことを書き込んでいる人が散見されるのですが、私はそんなこと全然なくて、むしろ世の中って因果応報絶対あるよなって感じている人間なので、今日はそれについて深堀していきたいと思います。

そもそも100%善良な人間など存在しない

大前提として人間って完璧で何一つ間違わない人間なんていないので、完璧なる善良な人間なんてこの世には存在しないですよね。なので失敗や間違いも人を傷つけてしまうことも、沢山あると思いますし、一方からみた正義は他方から見たら暴力と感じることも多々ある。「自分はこんなに善良なのに何故損ばかりして、あいつは得ばかりしてるんだ許せない」という感情も非常に主観的なもので、自称善良な人間が本当に善良であり、妬まれている誰かが本当に悪人なのかも詳しく精査してみないと分かりません。

そして人間は過去に過ちを犯しても、自身の過ちに気付いて学び改めることで成長することもできますよね。そうやって日々学びと成長を繰り返すから人は成熟していくのだと思います。

本当に不味いのは、自分は悪くないと自己正当化し、失敗やトラブルを他人のせいにして謝らない、反省しない、自身を省みない人間です。こういう人間は何歳になっても歳だけとるだけで人間性は全く成長しません。

自分は善良であり何一つ悪くないのに損ばかりしていて運が悪いと思っている人は、はたして本当に善良な人間なのでしょうか?

禍福は糾える縄の如し

そしてもう一つの前提として、100%運が良いだけの人や、完全に悪いことしか起きない人というのも存在しません。人間生きていれば誰でもいいこともあるし、悪いこともあります。誰かのたまたまいい時や、自分のたまたまツイてない時ばかりにフォーカスして比較しても、それは主観的な認知の歪みであって事実とは言えません。

脈絡のないたまたまの運の良し悪しではなく、物事を俯瞰して見た上での、因果性と結果という形で見たら、良いことも悪いことも利益も損失も、因果応報はあると思います。それは物理法則と同じように一つ一つが関係して作用して結果となっていくからです。

認知的焦点化理論

解明! 運がない人は、なぜ運がないのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

京都大学大学院工学研究科の藤井聡教授らが提唱する「認知的焦点化理論」というものがあります。

利己的で短期的な目先の利益に駆られる人間ほど、反社会的な言動が多く、他者から嫌悪され、社会から制裁を受けたり弾かれたりしやすく、主観的な幸福感が低い。

利他的で長期的に社会の利益全体を考えるなど広い視野を持つ人間ほど、人望が厚く人が寄ってくるので何かの時には助けを得られたり、良いパートナーや良いチャンスを得たり、しいては人生全体において幸福感が高い。

つまり必然的な因果応報のなかで分かりやすく「運」の良さや悪さが理論的に説明できるということです。

野球のゴジラ松井の愛称で有名な松井秀喜さんは現役引退後、現在はニューヨークヤンキースGM付特別アドバイザーとして活躍されているそうですが、松井選手はヤンキースで大活躍したものの契約が終了しその後エンゼルスと契約、のちに米メディアは「ヤンキースが手放すのが早すぎた選手」の一人として彼の名前を挙げ、エンゼルス側として対ヤンキース戦に挑んだ時にもニューヨークのファンや友人たちが暖かく迎えハグや祝福をして大歓迎したと言われています。現役を引退した今でも彼のニューヨークでの人気は絶大だそうです。

勿論彼の野球の実力が凄いということはあるのですが、才能のある人間であれば誰でもこのように人々から愛される人になれるということはありませんよね。その世界にいけば自分より上の人は沢山いるし、上手くいかないこともあれば衰えていくこともある。彼は人間としての人柄の良さや善良さ、誠実さがずば抜けているから、生まれ育った場所ではない外国ででも、ここまで広範囲に人から信頼され良い人間関係を築くことが出来るのだと思います。

(こんな風に対比するのはアレですが)逆に清原和博さんは全盛期の頃は「王選手を超えるのは彼しかいない」とまで言われるようなずば抜けた才能で大注目された人ですが、覚せい剤取締法違反で逮捕され、現在は薬物の後遺症に悩まされながら鬱状態が続いている状態だそうです。あれほどに大きな体躯で強そうな人が、今は人前に出ることが怖いと吐露しているんですよね。

衝動性とセロトニン不足

人間に穏やかな幸福感や精神的な安定をもたらすセロトニンですが、これが不足している人ほど脳の高次機能による制御が働かなくなり、本能的な欲望による衝動性が高まり、短絡的で破滅的な行動選択を行うようになるといわれています。

そもそも生まれつき脳の高次機能のスペックが低いという人もいますし、強いプレッシャーやストレス、悪い人間関係、乱れた生活習慣やアルコール、タバコ、薬物などで脳機能やセロトニン分泌に悪影響がある場合もあると思います。

いずれにしろ反社会的な逸脱行為が多い人は主観的な幸福感がとても低いと言われています。

類は友を呼ぶ

俗にいう2:6:2の法則というものがあり、多様性の世の中なのでどのような人間であっても必ず、好きという人もいれば、無関心な人もいるし、嫌いという人もいます。自然と付き合いの中で、価値観の合う心地良い者同士が交流するようになり、価値観の合わない人間は離れていくようになっているんですよね。

なのでどんな善良な人間でも、あいつは気に食わないと敵対する人間は存在するし、どんな悪人であっても同じ価値観の人間は集まってくると思います。

また、利他的で良い人間関係が築ける人は誰と交流するかの選択肢が広いので、自分で付き合う人を選ぶことが出来ますが、利己的な人間は人が離れていくし群れから弾かれていくので選択肢がとても少ないです。

その為一人でいるよりマシだからという理由で選択の余地が無く、いがみ合ったり苦しめあう関係性でも離れることが出来ないし、お互い利己的で他者への思いやりがないので悪い関係性が深刻化しやすい。

共依存にあるような、人に尽くしている一見「いい人」に見える人であっても、問題を精査すると実は強すぎる自己有用感や過干渉などの利己的な欲求が根底にあることで、倫理観が欠如していたり曲がったことを肯定していたりと誠実さが無い場合も少なくないんですよね。

世の中って利己的であることを自覚している人間より、自覚のない無意識の利己主義の人の方が実はとても多い気がします。

倫理観や善悪の区別がつかない人は、その場その場の感情で前言ったことと真逆のことを言っていたり、筋が通らない判断や言動をしがちですが、その根底に無自覚な利己主義の損得勘定が判断基準として根付いていることも少なくありません。そういう人は、人には厳しいのにいざ自分の立場になったらその批判していた行動を簡単にやってしまったりするんですよね。そしてその時には自己正当化する。

利己的な人間は、言ってることに一貫性が無かったり、遅刻が多かったり(待たせる人間への配慮が無い)、責任を果たさずバックレたり、女性であれば女を武器にして男にすり寄り得しようとしたり切り抜けようとしたりと、結構分かりやすいです。

また、実験では多くの人は写真を見ただけでその人間が「善人」か「悪人」かを見抜くことが出来るのだそうです。単純な顔の造作や体つきとかではなく、人間性って目つきや表情に現れるんですよね。

犬なんかも善人と悪人を見分ける本能が備わっていると言われます。

悪人を見抜く!? 最新科学で読み解く、犬の「第六感」|いぬのきもちWEB MAGAZINE

経済的な成功や地位が全能感をもたらし特権意識が逸脱行為に拍車をかける

芸能界や経済界などは成功すれば莫大な経済力を手に入れることが出来るので、こういう世界で生きる人は気が強くて全能感が高い人間が多いです。基本的にその全能感が自信となり、欲望が強くてなりふり構わない利己的な人ほど経済的には成功しやすい傾向がありますし、利他的で欲望が薄い人はそもそもそんなに経済的成功には興味がないと思われます。なので人の目につきやすい経済的な成功者は利己主義者が多くなりがちですが、スキャンダルや逸脱行為から制裁を受けて転落していく姿を見ることも本当に多いですよね。ネットニュースなんかそんなことばかりに見えます。

しかし先に挙げた松井秀喜さんであったり、あとは私個人的に一度も醜聞を聞いたことが無いB’zのお二人とか、あれだけの功績がありものすごい活躍を長期的にしていながら、全く醜聞が無い人というのは話題にならないから気付かれにくいだけで、実際にはちゃんと存在しています。

経済的成功や才能による成功があると人間は傲慢になり、イエスマンに囲まれてちやほやされて神輿に担がれるので、特権意識が生まれて本性が出やすい。

そういう中でも思い上がらず、謙虚で倫理観がしっかりしている人間というのは決して道を踏み外しません。素の性質が他害行為を悦ばない、そもそもの感性が善良なんですよね。

周囲を不幸にする人間は実在する

なぜ人間には悪人や利己的な人間を見抜いて弾こうとする本能があるのかといえば、それはやはり共にいると害がもたらされるからですね。

裏切られる可能性も高いし、トラブルを起こすリスクも高い、子供や家族など大切な存在が傷付けられ脅かされる危険性、財産や大切なものを奪われたり壊されたりする危険、奉仕や配慮を搾取される恐れ。共助共栄ではなく、自分だけが得しようとか、他の人間を蹴落としたり不幸を喜ぶ性質があるのですから、余程のマゾで不幸が大好きでなければ普通一緒に居たくはないでしょう。一緒に居たがるのは「このダメ人間には自分がいなければならない」という自己有用感を満たしたい欲求が強すぎる人だけです。

利己的で他害行為のある人間と共にいると、人から嫌われたり、人間関係で揉め事を起こしたり、暴力を振るわれたり、裏切られたり、搾取されたりと嫌なことばかりあるので、精神的にも疲労していくし、気持ちも暗くなるしと、周囲の人間はどんどん不幸になっていきます。

その上、善良で芯のある人ほどそういう人たちとは関わり合いを避けるので、良い人ほど去っていき、同じような人間ばかりが残っていくことになります。

逸脱行為が多いほど社会から弾かれていきますが、同じ利己主義で集まると、例えば性的な利益とそれを提供することで得られる見返りや、媚びることで物質的な見返りがもらえる、問題行動を起こす人間とそれによって自己有用感を満たされる共依存などの相互利益がある関係性でがっちりと固まるので、何か問題があっても、自分たちを弾く社会が悪い、自分たちは悪くないと、自己憐憫や自己正当化、他責他害の心理が働き、自浄作用が働きません。

人間にはミラーニューロンという共感性の脳の働きがあるので、一緒に居る人と言動や価値観も影響されて似てくるし、周りからも同類だと思われる。

一緒にいるとどんどん不幸になる、この人といるとなんだか悪いことが起こるというのは実際にあるんですよね。

悪いことを悪いと指摘することは究極の利他行為

子供の頃は親や教師などが叱ってくれたりしたものですが、大人になると叱ってくれる人がいなくなります。

特にそれなりに経済力や立場が出来てくると、どんどん誰も悪いことを指摘してくれなくなる。なので中年、高齢となればなるほど自分の問題に気付くことが出来なくなり、関係性も偏っていくし、その人の悪いところがトラブルとして顕在化してきて最後には取り返しがつかなくなっていってしまいます。

若気の至りと言われているうちに気付いて改めることが出来ればいいのですが、芸能界などでももう手遅れなイタいおじさんおばさんが沢山いますよね。

週刊誌とSNSによってネットリンチの大混乱が起きやすい世の中だと、正義の暴力が人を自殺にまで追い詰めることも少なくないので、正しいことを指摘することや悪いことを悪いと叱ることがその騒動に埋もれてまるで悪のように思われがちなんですが、本当に相手の為を思って行動する人は、嫌われることを恐れず悪いことは悪いと指摘する強さがあると思います。そして相手を追い詰めすぎない優しさや配慮もあると思います。

物事には長期的な視野が必要

何事もそうですが、例えば作物を育てるのにも種をまいたら数日で簡単に収穫なんてことは殆ど無く、遡れば沢山の先人たちが収穫量を上げる為に土壌や育て方の研究や品種改良したりとコツコツ積み重ねてきたことも含めて、何事も収穫までには長い時間が必要となります。そういう長期的な視野が持てない短絡的で利己的な人間は、他人が育てた作物を奪うことしか考えない。

今目の前でコツコツ積みかさねてきた努力を奪われた善良な人間と、それを奪って一時の欲望を満たした悪人とを見たら、確かに短期的には「善良な人間は損をし、悪い人間ほど得をしている」と思うかもしれません。

しかしやったことには必ずそれ相応の報いがあります。コツコツ積み重ねてきた人は得たスキルや知識がありますから、何度でも立ち上がることが出来(成功に対しての再現性が高い)ますが、他者から搾取することしかできない人間はそうそう何度も同じことが成功するわけではありません(成功の再現性が低い)。人から恨みを買うので何かの時には復讐されたり、返り討ちに遭うこともあるし、社会から制裁を受けたり、人からの信頼を失って群れから弾かれたりすることになります。

また人望がある人は困ったときには助けてもらえる可能性が高いですが、逸脱行為を繰り返して反省もしないような人は、迂闊に関われば酷い目に遭わされると思うので大抵の人は関わろうとしません。

何が「得」でなにが「損」なのかは視野の狭さや広さ、視座の低さや高さで全く異なります。利己主義な人ほど目先の短絡的な物事にとらわれて、長期的な視野がもてません。

公正世界仮説

公正世界仮説とは「良いことをすれば良いことがある」「悪いことをすれば悪いことがある」と無意識に考える認知バイアスの一つです。これが行き過ぎると災害や病気で苦しむ人を何か悪いことをしたからこのような酷い目に遭っているんだというような、人でなしの思考回路になったり変なカルト宗教に引っかかったりなど悪い側面もあるのですが、ボランティアや寄付を行ったりお互い助けあったりと積極的に良いことをしようという気持ちや、悪いことは罰が当たるからやめておこうと欲望の抑制につながったり、それが人の幸福感を高めたりと良い側面もあります。

その公正世界仮説認知バイアスがあると、最近ツイてないなとか、ケガが多いとか、不調が続くとか、何かしら悪いことが起きたときに「自分の行いの中になにか良くないことがあるのでは?」「大きなものからの何かのお徴では?」というような自己を省みる切っ掛けになることがあります。

それによって自分自身の行動や関係性を省みて改めたり、生活習慣などを健康的に改めたりといったことが出来ると、また精神や身体の状態が回復して良い状態に持ち直すことが出来るんですよね。

例え不運に見舞われても、考え方次第でそれを自分の人生を良い方向にもっていくことが出来る良いチャンスにできるかもしれません。

反応性愛着障害の頭の中

私は虐待育ちで反応性愛着障害を自認しています。しかし自分以外の反応性愛着障害持ちをリアルでは見たことがありません(有名人とかでは脱抑制型の愛着障害があるのでは?と感じる人はみたことある)。反応性愛着障害があると基本的に他者と関わることを避ける傾向が強い為、居たとしても人と関わらないので認識されないのだと思います。なので世間一般に反応性愛着障害は理解されにくいだろうなと思います。

愛着スタイル診断の回避型と愛着障害が同一視されている

たまに「恋愛アドバイザー」みたいな人とかが、彼とうまくいかないのは彼が愛着障害だから、みたいに断言したりしてるのを見かけるのですが、これはだいぶ乱暴な話だなと思います。

確かに反応性愛着障害持ちの人は愛着スタイル診断をすると確実に回避型に分類されると思います。しかし、回避傾向のコミュニケーションタイプがイコール愛着障害なのかというと、それは違うと断言できます。

何故なら回避型の愛着スタイルは、ASDの孤立タイプや、シソイドパーソナリティ障害(他者に全く興味がない人格障害)、生まれ持った気質など、先天的な脳の特性によるコミュニケーション障害の可能性もあるからです。

ASDなどは100人に1人はいると言われていますが、困難が顕著ではない場合は診断を受けない為、潜在的にはもっと多くいると思われます。特に女性の場合女性ホルモンやオキシトシン分泌が男性よりも多く、それらは脳の認知機能や社会的認知力を高める為にASDのコミュニケーションの困難が表面化し難く、女性でASDと診断される割合は男性の4分の1以下で多くの場合知的障害を伴う人しか診断を受けていないのが実情だと思われます。

愛着障害は一般的に幼児の頃に医者が診断するもので、反応性愛着障害ASD、脱抑制愛着障害ADHDは客観的に見たときの子供の状態が非常に似ています。その為一昔前は愛着障害ASDADHDは混同されており、発達障害は親の虐待のせいだと思われていた時期もありました。実際にはASDADHDは生まれ持った脳の特性であり先天的なものなので、これは発達障害の子供を育てる親を相当に苦しめる誤解であると言えます。

対して愛着障害の場合は脳が未発達な乳幼児期からの暴力や怒声、家族の暴力を伴う諍いや、養育放棄(ネグレクト)、養育者がコロコロと変わって安定した愛着形成に支障があるなどの劣悪な環境により脳が後天的に機能低下を起こしている状態です。

特に反応性愛着障害は、乳児期からの不適切な養育環境によって、ドーパミン報酬系が定型発達児に比較して著しく機能低下を起こしていることが明らかにされています。

https://www.u-fukui.ac.jp/wp/wp-content/uploads/20150930-3.pdf

一方でASDの困難として有名なサリーアン課題や言語の特異性などは反応性愛着障害にはみられません。

ASDは脳のミクログリアによる機能的神経回路の形成不全が要因の一つと考えられています。Journal of Japanese Biochemical Society 93(2): 248-251 (2021)

ASDは先天的な脳の発達障害、反応性愛着障害は不適切な養育による後天的な脳の発達障害であり、表面的には似た行動を示したとしても、機序が全く異なるのです。

また愛着障害には反応性愛着障害の他にも脱抑制型愛着障害というものがあり、こちらは積極奇異型とでもいうのかむしろ他者に積極的に関わろうとするので、回避型愛着スタイルとは様子が全く異なります。

公園やおもちゃ売り場などで周りに保護者がおらず、子供だけで一人(あるいは兄弟のみ)で遊んでいて、知らない親子連れの後をついてまわる子供。園や学校から帰ってくるといきなり人の家にきて上がり込み、おやつや夕飯を食べていく子供。家に寄り付かず同じ立場の子供同士や反社会的な大人と群れて、犯罪や売春や薬物などに堕ちてしまう少年少女。それらは典型的な脱抑制愛着障害の状態だと思われます。

実際反応性愛着障害よりも社会的な困難がより強く、環境が変わっても状態が改善されにくいと言われているのでコミュニケーションが積極的なタイプの脱抑制型愛着障害の方がより生き難いかもしれません。特に性的な問題でトラブルを招きやすいです。特に幼い頃は性犯罪者の恰好の餌食にされてしまいます。

いずれにしても愛着障害とは早ければ乳児期からの不適切な養育に起因する後天的な脳の発達障害であり、そういう診断無くして、単純に回避型のコミュニケーションスタイルだからあいつは愛着障害だと安易に決めつけるのは非常に乱暴な思考だなと思います。

人間の8割はクズだと思っている

反応性愛着障害は深刻な信頼障害を持っています。幼少期から自立するまでの間狂暴でキチガイの家族と否応なしに一緒に暮らしているので、人間のクソぶりを嫌というほど味わっていますから、人間がどれ程恐ろしい存在かを知っています。一番人間を殺している動物は人間です。根拠なく信頼しろとか言われても土台無理というものです。

明らかな狂暴な人間や思いやりの欠如した人間が怖いのは言わずもがなですが、無自覚な人間の積極性も負担に感じます。

対人スタンスに見返り欲求や期待が強くなく、穏やかな気質で、猫に対してのようにそっとしておいてくれる人が好きですが、友達なんだからこうしてくれるのが当たり前でしょうとか、恋人ならこうやってほしい、こんな風になってほしいというような欲求が強すぎる人は苦手です。

虐待を受けてきた子供というのは親からの依存や過干渉にずっと振り回されてきています。虐待は未熟な親の甘えや依存の現れです。甘えや依存心、他者への過干渉や過度の期待、見返り要求、フロイトの指摘する「例外者」の心理。怒りや暴力などの支配行動によって、子供から奉仕を搾取するのです。虐待被害にあっている子供はずっとそのような未熟な人間を親として受け入れて育ってきています。

なので反応性愛着障害の人間は冷たいと思われがちですが、実はむしろ支配に弱く搾取されやすい気質であることが多い為、依存傾向が強い人間とは相性が非常に悪い。共感力が強く人との争いを避ける気質で、要求されると応えようとしてしまうので、相手にとっては心地よく依存心がエスカレートしてしまうので、関係性が腐りやすく精神的負担が重すぎるのです。

人から出来るだけ逃げるのは支配と搾取の苦しみから身を守る為です。他者とは線引きをすることが生きる為に必要だと自覚しているのです。

自分自身も勿論「こんな人と仲良くしたい」とか「こんな人が好き」という好みや望む関係性はありますが、そういうタイプの人を好きになるというだけで、そうでない人にぐいぐい詰め寄ってこうしろとか変われなどと要求することはありません。人間はそう簡単に変えられません。一時的に表面上変わったとしてもそれは本質ではないことが大半です。

基本的に無理に人と居るよりも一人でいることを好むので、安らがないけれど一人にはなりたくないから我慢して付き合うとか、相手が変わることを期待して妥協して付き合うとかはしません。嫌だったら離れるだけです。だからコミュニケーションが回避型になるのです。

一人の方がいいというと嫌われてると思われたり、同情されたりする

人といるのが当たり前だと思っている人、一人になるのは嫌だと思っている人と、反応性愛着障害は基本的に分かり合えません。迂闊に久しぶりに友達とおしゃべりしたとか言うと友達もいない可哀そうな人として同情されます笑

確かに一般的に友達がいない=人望が無い人ということになると思うので、可哀そうな人なのかもしれません笑

でも他人からどう思われるかを気にして、さも自分は人望のある人気者であるかのように見せかける為だけにトロフィーのように友達の数を競う気は毛頭ありません。というか、人の顔も名前も殆ど覚えることが出来ません。人の目を見て話すことが出来ないのでたまに会う人のことはさっぱり覚えていない。関わりの浅い他者と細やかな連絡を取り合ったりする必要性があまり感じられないので、意味もなく連絡しようとか誘おうとかの積極性も殆ど持てず、一人で本を読んだり趣味に時間を割いていることが殆どです。

誘われても応じなかったり、距離を取ろうとしたりすると、特に依存傾向の強い女性からは拒絶されたとショックを受けられたり、怒ったり卑屈な態度をとられることも少なくありません。しかし興味が薄い相手のことが嫌いだから関わらないのかというとそんなことは無く、むしろ嫌いにならない為に関わらないようにしていることの方が多いのです。久しぶりに会ってもコミュニケーション自体は円滑に取れます。心を閉ざしている、他者を憎んでいるというのでなく、ぶつかり合わない距離を保ちたいだけなのです。

経済的な困難に直面しやすい

基本的に社会や集団への帰属意識が乏しく、パーソナルスペースに土足で入り込まれることや、争いや諍いに強いストレスを感じやすい為、学校や職場などの社会的な活動が非常に困難です。

私は自律神経失調症による様々な健康の問題(頭痛、めまい、低血圧、嘔吐、胃痛、過敏性腸症候群、食欲不振、不眠)やパニック障害(動悸、強い不安感)、希死念慮などを抱えている為、社会活動に支障があり、私は高校を退学してのちに独学で大検を取得し通信大学も始めましたが、働きながらで到底勉強までは行えずそれも途中でやめてしまっています。

基本的に経済活動は人間と関わることが大前提なので、これはもう貧困まっしぐらで非常にやばいです。

反面ドーパミン報酬系が機能低下している為、欲望や他者への承認欲求などは著しく低い為、最低限生きていけるだけのお金があればまあなんとかなるかなって気もします。

見栄やプライドでブランド物や高級品を欲しがるというような欲求はほぼゼロです。派手な格好で見せびらかす相手もいませんし、人から羨望の目で見られるより、むしろ全然目立ちたくないのです(でもいいものを安く買えたとかのコスパの良い情報は好き笑)

独身の頃にあった財産は家族の為に使って尽きてしまったので、現在は子育てしながら投資やポイ活でコツコツお金を貯めている状況です。

ネット社会になり投資が手軽にできるようになったことは、私のような反応性愛着障害持ちにはとてもありがたいことだと思います。上手くできれば早期に社会活動からリタイアできる可能性が高まりますからね。

まだまだ先は長いですが、出来れば最低でも300万以上貯めて、投資で毎月3%程度の利益が出せるようにスキルを磨きたいです。ちなみに今月は成績がかなり悪くて落ち込んでます(日経平均はあんなに好調なのに!くそー銘柄選び失敗したー!)

愛着障害もちは大人になると虐待親や犯罪者になると思われている

世の中の方々は負の連鎖という言葉がとてもお好きなようで、虐待育ちは大人になると必ず虐待親になるとか、犯罪者になるという物語が大好きみたいです。

しかし実際のところ虐待育ちが大人になって子供に虐待する確率は1/3程度で、これは親の気質が子に遺伝する確率1/3と全く同じです。

私のケースで言うと、母親から暴力を受けて育ちましたが、虐待を受けていた私は父親似であり、虐待を受けていない愛玩子の兄は母親似。母によく似た兄も同様に狂暴で浅ましい人間で、妹の私への虐めや性的な嫌がらせもありましたし、彼女にもドライブ中に山道で置いてきぼりにしたり、避妊しないDVでデキ婚やらかしたりと超クズ野郎です。もしもこの世にゾンビウイルスが蔓延して世界が崩壊したら真っ先に兄の住む家に行き遠くからボウガンで脳みそ貫いてやろうと思います。

ちなみに私には息子がいますが(自己申告では疑わしいかもしれませんが笑)子供には一切虐待行為もネグレクトもおこなっていません。今日も元気に学校行っとります。

虐待を受けたから自分の子供にも同じ様に虐待をするなんて、全く支離滅裂で理解不能です。何故人がそれを真に受けるのか理解できません。親に対して愛着形成があり親を肯定しているのならば親から学び親のやることを模倣するのかもしれませんが、反応性愛着障害持ちは親と愛着形成が無いので、親だったとしても関係性は赤の他人と変わらない存在です。尊敬もしていないし模倣する気なんか全くないです。可愛い我が子に自分と同じ苦しみを与える気にはなりません。またあんな地獄の世界で生きるくらいなら死んだ方がましです。ようやく地獄のような家から逃れたのにまた最悪な状況を、それも自分自身で作り出すなんて、相当頭が狂ってると思いますよ。

フロイトの「例外者」の心理が冤罪を生み出している

「生理のときに放火や万引きをする女が多い」女性犯罪で月経要因説が根強く支持され続けた理由とは | 文春オンライン

人間の脳みそはおかしなもので、理解できないことに対して無理やり物語をでっちあげて分かったフリをするのが好きなんですよね。

昔であれば女性犯罪は生理のせいだという物語が信じ込まれており、多くの場合は「だから仕方がない」というような恩赦を与えるものさしとして使われながらも、中には無実の女性が殺人のぬれぎぬを着せられることもありました。

今はそれが「虐待育ちの負の連鎖」という物語だと感じるのです。

基本的に犯罪者というのは「被害者意識」「自己憐憫」「自己正当化」「他責他害」というような思考回路があります。人間は自分が心底悪いと思っていることはやりません。暴力や他害行為を行う時には「自分をこれだけ怒らせた相手が悪い」というような自己正当化をしているのです。

そしてそれが他者から裁かれ罰を受ける段階になると、自分の被虐待経験や自分が可哀そうに見える出来事などを持ち出したりでっちあげたりして、相手から同情を引き出し恩赦を得ようとします。月経のせいだと認めれば恩赦が与えれられるなら喜んで月経のせいだと認めます。虐待育ちであれば同情してもらえると分かればどんどんそれを標ぼうします。

それはフロイトの指摘する「例外者」の心理であって、本質的な虐待の因果ではないのです。暴力も逸脱行為も犯罪も、連中はそれを行うと興奮してスッキリするからやりたくてやってるんです。辛い過去の吐露は同情をひいて恩赦を得る為の卑しい行動でしかありません。

虐待育ちは親にまともに育てられていないから虐待行為を行うとか、犯罪者になると決めつけられるのは、まともに生きている虐待育ちへの酷いレッテル貼りであり冤罪です。その偏見は親に愛されない子供に対する「穢れ」への蔑視だと感じます。

女性蔑視や生理を穢れであると捉える「見下し」や「偏見」と同じように、世の中の人たちは虐待育ちにも見下しや偏見を持っていると感じます。

ナチスドイツの優性思想に過剰な拒否反応を示す人が、それを否定したいが為だけに「遺伝は関係ない」「育て方が100%だ」と極端な「こうあるべき思考」に偏った結果、虐待という不適切な養育を受けた人間は犯罪者にならねばならないと思い込んでいてそれを言いふらしていると感じることも多いです。そういう人は他人のことよりもまず自分の差別意識や加害性に気付いて欲しいものですね。

「安全基地」と「心理的安全性」を欲している

反応性愛着障害は生きる上でここは自分のテリトリーでありここにいればひとまず安全性が確保されているという「安全基地」が必要です。それは所有する土地や住居など物理的なものであるかもしれませんし、それを提供してくれる誰かの存在かもしれません。そして人を受け入れるとしたらそれは相手に対しての人としての信頼感=心理的安全性が確保されていると感じている場合です。

多くの人は相手に対して「自分にとってメリットがある人」を「いい人」だと言いますが、私が思う「いい人」は、性的な問題行動や暴力的な気質がみられない、自制心があり基本的に穏やかな気質で倫理観がしっかりした知性的な人間のことです。

自分に対してメリットがあるかどうかよりも、人間として信頼できる人格であり裏表や疑わしい挙動が見られないかの方をはるかに重要視しています。そういう人であれば素直に信頼して好意を寄せますし、異性であれ同性であれ性的な問題行動が見られたり、欲深さや自分勝手さ、人への攻撃性や強い依存心などが顕著なほど警戒します。人を無暗に信頼しませんが、信頼できると感じれば案外すんなりと信頼します。

もしも反応性愛着障害もちと仲良くなりたいという変わり者の方がいらっしゃれば、まずは野良猫に対するような適度な距離感で、他者を交えず一対一でガチンコに向き合い、性的な魅力とか経済的・物理的なメリットをちらつかせるとかではなく、人間として信頼できる姿を示すことをお勧めします。あとライバルとかを作り出して、競争力を煽ろうとしたりしても全く逆効果です。ドーパミン報酬系の機能低下が起きているので、欲も少ないし、人と争ったり奪い合ったりするよりも譲る方を選びます。他にも大切な人がいるからなどと言われれば、自分が邪魔してはアレだから、とスーッと消えていきます。

対人関係に対して争い事を忌避し、人一倍感情過多でストレスが大きいので、複雑だったり大勢だったりは苦手で、なるべくシンプルで心が安らげる関係性を望みます。人と関わりあわないので対人スキルが低いです。

「みんなそうだから」とか「人間なんてこんなもの」というのも分かるには分かりますが、大前提として我慢してまで人と付き合わなければならないという意識が欠如しているので、一人の方がマシだと判断しがちです。我慢して生きるより死んでしまうほうが楽だと本気で考えてしまうのです。

舌打ちとか物を乱暴に扱って音をたてたり、モラハラや恫喝などで、不機嫌を振りかざして人に配慮や奉仕を要求する系の人間が一番苦手ですが、親からの支配と搾取で育った虐待育ちは一緒にいると相手がそうなってしまう確率がとても高い気がするのです。加害行為で威圧すれば、自分に奉仕をしてくれると思われることが非常に嫌です。そういう成功体験をこちら側が相手に与えてしまいがちなのかもしれません。

自分の方が強い、自分の方が立場が上であると勘違いし、傲慢になった人間の嗜虐性というのは非常に嫌らしい醜いものです。

そういう風にならない、人としての基本的な人格に対する信頼感を重視しています。

まあ基本的にそこまで頑張って愛着障害もちと仲良くなる必要性は全くないと思うのですがね。

セルライトって結局何なの?

多くの女性が悩まされる「セルライト」。

エステやダイエット情報なんかでは「セルライトをつぶす」などという言い方をしますが、医学的にはセルライトと呼ばれるような脂肪の状態は存在しておらず、脂肪に老廃物が溜まった状態のことです、と説明されます。

老廃物が溜まった状態???つまりなんなんだってばよって思いますよね。

老廃物とは

体には二種類の血管「動脈」と「静脈」があります。

動脈は酸素や栄養を補給し心臓から押し出されて全身に届けられる赤い血液の通り道のこと。

静脈は体中の二酸化炭素や不要な塩分や水分、代謝における毒素などを回収する青い血液の通り道のこと。そのような老廃物は腎臓でろ過され尿として排出されます。

医学的に言うと、セルライトとはそのような静脈で回収されて腎臓でろ過され、心臓に戻るための血液が適切に戻らずに皮下脂肪に湿潤している状態のことだと言っているわけです。

つまりセルライトとは皮下脂肪に余分な水分が溜まっている状態のこと

セルライトってむくんでる状態のことなんです。

むくみというと塩分過多やアルコール摂取の翌日、腎臓の不調などで顔などがパンパンに膨れているような状態をイメージすると思うのですが、心臓の力が弱い、低血圧、カフェインやカリウムなど利尿効果のある成分のとり過ぎ、水分や栄養が不足している、筋肉が少なく運動習慣が無いなどの理由で、静脈から心臓に血液が戻る力が弱い人は、心臓から遠い脚などに慢性的なむくみが発生している可能性があります。

そうすると、顔や上半身は痩せていてお腹周りもくびれているのに、なぜか脚だけは太いという下半身太りの状態になりやすく、そういう人の脚などにはセルライトも出来ている。

逆に血圧が高く筋肉がついていて運動習慣もあるような人の場合、足は細く、むくみは顔に出やすいです。

エステの全身マッサージなどでセルライトが消えたという人がいるのであれば、それはマッサージにより皮下脂肪から余分な水分が抜け、静脈に戻り排泄されたからかもしれません。別に脂肪細胞をつぶしているわけではないんですね。

浮腫みについてはこちらにも詳しく書いています

nijinosizuku.hatenablog.com

日常的にむくみがおこることで脚そのものも太くなっていってしまう

心臓の力が弱く、体質的に低血圧である場合その体質そのものを治すことは難しいかもしれませんが、食べないダイエットはやめて食事で塩分やタンパク質などをしっかりとる、筋トレでポンプ機能のある筋肉を鍛える、有酸素運動で水分代謝を促進する、寝ている時や安静時に加圧ソックスを利用するなどで、大幅にむくみが改善できます。

加圧ソックスは締め付けが強い市販品などで体調を悪くする人もいるようなので、医療用のものをサイズを測ってから購入することをお勧めします。

太ももや膝回りは浮腫みがとれると明らかに変わるので、太ももまであるタイプがおすすめです。


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色々使ってきてはいるのですが、今のところ↑これが一番お気に入りです。加圧も中程度で強すぎないし、太もものところに滑り止めがついているので寝ている時の着用ではクルクルにならずにちゃんと履いていられる。見た目はちょっとダサいですけど笑。息子に牛の乳みたいとか言われましたけど笑

母親になって後悔してない

オルナ・ドーナトさんの「母親になって後悔してる」という本についての話題をたまにネット記事などで見かけるんですが、実は私はこの本を読んでいません。

特に40代以前の人たちが経験してきた社会の在り方、結婚や夫のこと、子育ての大変さなどを考えれば、読んだら多分分かることや共感することも沢山あるだろうなと思います。だからこそ子供の尊厳に関わるようなネガティブな思考を自分の中に取り入れることのリスクを回避したいと思って。

人間はミラーニューロンといって共感する脳の機能を持っています。なので誰と接するか、誰の意見を聞くかは自分が思ってる以上に自分に強い影響をもたらすことになります。線引きしようとか、ここからは私の責任の負える範囲ではないと、理屈で分かっていても人に引っ張られてしまうことも多々ある。

 

女性の生きづらさや社会の在り方について一石を投じることはとても重要なことだけれど、それが子供の尊厳を傷つける方向にいくのは完全に間違っているし、私は子供に対してそんな風に思いたくない。とってつけたように「子供のことは愛しているけれど」というなら、言葉ではなく行動として現れるはず。様々な生きづらさや困難の問いかけのタイトルが「母になったことの後悔=子供への存在否定」として現れている時点で、子供のことは愛しているけれど…というのは本心とは思えません。

子供を苦しめる母親のダブルバインド

グレゴリー・ベイトソン統合失調症の子供の母親が口では愛していると言いながら、子供が触れたりハグしたりすると拒絶反応を示すという言語と非言語での相反する言動(二重拘束)が、子供に葛藤を与え苦しめ、それが繰り返されることで子供を統合失調症にすると指摘しました。

脳医学としては母親のダブルバインドが子供を統合失調症にするというのは完全に因果性を誤っていると思いますが、このダブルバインドが子供を酷く苦しめることは事実です。「おいで」と言われて近づくと拒絶される。しかし「おいで」といわれても警戒していくことを拒めば「なぜ来ないんだ」「母親を信用しないのか」となじられることになる。

ダブルバインドは本人が無自覚に行っていることが多く、また多くの場合それに苦しむ子供は問題を言語化して指摘することが出来ません。

統合失調症の子供を育てる母親はそれが母親の育て方のせいだと言われることも含めて、きっと沢山辛い思いもしてきているでしょう。「子供を愛してはいるけれど」は母親なのだからそうでなくてはならないという「~~べき」思考、または自分を守る為の建前であり、「母親になんかならなきゃよかった」は隠しようのない本音の部分。

分析はできるしまあ理解もできるけど、その深淵に落ち込んだら地獄が待っているなと思います。自分も子供も苦しむだけ。そういう思考回路にはなりたくない。共感したくないですね。

女性に選択肢の無かった時代

今でこそ女性が経済自立して当たり前、女性も大学出てキャリアを積むのがエリートコースといった感じになっていますが、それは小泉政権下で非正規雇用制度が導入されて男性の中央値の収入が著しく減少し、それによって男性一人の所得では到底家庭が維持できなくなったことの副産物であって、それ以前は男性が経済を独占し、女性は学歴やキャリアの高い女性はモテない、25過ぎたら行き遅れ、お局様と嘲笑され、シングルマザーや未婚の母子も蔑視され、女性の経済自立は社会的にとことん阻まれていました。

また、女性が経済で成り上がる為には、性的魅力を最大限に使って男性に取り入り気に入られることが当たり前で、性的魅力が乏しい女性は男性からの風当たりが非常に強かった。政治家の問題発言でもわかる通り、いまだに昭和の高齢男性は部下の女性を性的価値で誹謗中傷しますよね。

このご時世でもいわゆる港区女子のような「美人は2億円得するんだ」などと頑なに信じて性的魅力を磨き、男性に媚びることで利益を得ようとする女性も少なくありません。

実は私自身も昔不用品の買い取り依頼をした男性がどうやら私のことが好みだったらしく、なにか奮発して少し良い価格で買い取りしてくれたという成功体験があり(笑)、最近貴金属や宝石を買い取ってもらおうと思ったときにそれを思い出し、化粧して見た目を取り繕って出かけたことがあります。結果として受付の男性は値段を決める立場になく、裏でネットによって専門家が鑑定するシステムで、期待していたような買い取りアップは不発だったばかりでなく、やたらと彼と私の共通点(年代や昔好きだった音楽など)を探された上、週に一回「不用品ありませんか?」の電話がかかってくるようになりとても辟易しました笑。別におしゃれしただけで露骨な性的アピールをしたわけでもないんですが、何かしら下心(笑)が伝わったのかもしれません。

優遇してもらったり何か得することがあるんなら女を武器にしたっていいじゃん、いい女の特権だよ!って思う人もいるとは思いますが、でもやっぱり男性の性的搾取やそれを提供することが「当たり前」になることは、そうではない実力のある人が性を提供しないことで冷遇される恐れがあったり、パートナーとの信頼関係が著しく損なわれたり、ストーカーや性暴力などを誘発する恐れがあったりと、リスクはとても高いです。

男性は想像してみて欲しいのですが、もし仕事を得る為に必要とされることが実力を示すことではなく、ジャ〇ーズのように夜な夜なおじさんが布団に来て口淫されることを受け入れることだったとしたらどう思いますか?普通絶対嫌だなと思うと思うんです。

それを受け入れる人は社会で成り上がることが出来て、それを受け入れない人は冷遇される世の中って最悪だと思います。

今の40代より昔の世代の女性は本当にそういう時代に生きていたので、中には結婚や子供を産むことが「他に選択肢が無かった」と感じている人も少なくなかったのではないかと思います。今の時代のように「自分は自由でいたいから結婚はしたくない」とか「子供は好きではないから産みたくない」「仕事に支障がでるから結婚は考えていない」などという選択は許されない社会だった。

産めよ増やせよが正義の戦争直後~男性独占経済が終わるまで、結婚しない/子供を産まない女性、独身女性や母子家庭は、露骨に差別や蔑視、冷遇される時代でした。男性だけでなくそれが当たり前だと思っている女性たちからも、異端者として虐めの対象となったのです。

自己決定権は自分の人生を幸福に感じさせる

かつての日本やイスラム教国のように、社会の囲い込みで他に選択肢が無かった、差別や蔑視を受けるから到底他の選択肢など選びようがなかったというのは本当に悲劇的なことで、やはりそういう世の中であってはならないと強く思います。これからも女性の人権や尊厳については言及していきたいと思います。

でも同時にその憤りの矛先が立場の弱い、それこそ自分で選んで生まれてきたわけでは全くない子供に対して向けられていることがあまりにも酷いとしか言いようがないんですよね。

世の中には「みんなにそうしろと言われたから」とか「私はべつにやりたくなかったんだけど」というような言い方をよくする人っているんですよね。他力本願で自分の性的魅力などの武器を磨いて男性に取り入って何か優遇してもらおうと、自分から積極的に関わっていっていき提案にものっかっていくのだけど、結果として良いリターンがあれば自分の性的な魅力のお陰だと思いやってもらって当たり前、結果として問題がおこったり悪い結果となった時には、自分でやったことにも関わらず「人に言われてやっただけ。私は悪くない」と責任転嫁して不貞腐れて問題から逃げるだけなので、世間からは当然理解されることが無く、無責任な人間、反社会的な人という印象を与えます。

「皆が結婚してるから自分も結婚するのが当たり前だと思った」とか、「結婚すれば幸せにしてもらえると思った」とか「子供を産めば男性の愛情を独占できると思ったから」とか「幸せそうな人が持っているものが欲しかった」とか、どのような選択であったにしろ、余程人権を無視した強要などがあった場合でなければ、やはり自分がそれを選択したという自覚は社会人である以上は必要不可欠で、結果として苦労や困難があったとしても、それを他人のせいにして逆恨みしたり開き直ったりするような幼稚な言動は誰にでも通用するわけではありません。

どんなに他人のせいにしようとも自分の人生は自分が担うものでしかない。だから自分の人生の重要な選択は、他人のいいなりや他人の価値観に委ねるのではなく、自分にとってそれが本当に納得できる選択かどうかをよく考えて判断するべきなんですよね。

それは自分の人生の責任を持つことでもあり、自分の人生を納得して生きるってことでもあります。そうやって真剣に考えた結果の選択であれば、困難やリスクがあったとしてもちゃんと自分事として受け止めることが出来ます。反省や後悔することがあったとしても、自分で考えて実行する力がある人は、それを学びとしてまた前に進むことができる。誰かのせいにして責任から逃げている人はいつまでも同じところから前に進むことができません。とにかく他人の選択に依存して、いいことがあればラッキー、嫌なことがあれば人のせいと、ただくじをひいているだけでしかない。

何かを選ぶことは、それを選ばなかった場合の干渉する全ての選択肢を失うこと

人生は一方通行で後戻りすることはできません。特に女性の場合子供を産むのには明確なタイムリミットが設けられています。子供を産むことによって女性は自由や経済自立など多くのものを失うリスクがあります。

しかしじゃあ子供を産まなかったとしたら、唯一無二の可愛い我が子と楽しく過ごす日々も無いし、40、50となった時にはもう子供を授かることは出来なくなってしまう。例え人工授精などで子供を授かることが出来たとしても体力勝負の育児はとても大変でしょうしお金も沢山かかるかもしれません。それがまた新しい後悔を産む可能性もあります。

全部完璧で何一つ問題のない人生なんてありえません。それに苦労や困難が不幸であるというわけでもない。あの時を振り返ったらもう二度と御免だわ笑、と苦労話として話したとしても、だからといってその選択をしなければ良かったという結論になるわけではなく、大変だったけど自分で選択したことで、自分のやりたいことだったから乗り越えられたということは沢山あるはず。大変だったけどそれでも幸せだと感じられることは沢山あると思います。

どのような選択肢であれ、得られるものがある一方で、それを選ばなかった場合に選べた可能性を捨てることになります。しかし選ばなかった場合の可能性に執着したら何一つ選び取ることが出来ないままただ時間だけが容赦なく過ぎていくだけ。それでさえも「何もしなかった」ということが結果的に自分が選んだ選択肢となり、それによってもたらされるものからは逃れることができません。

何事にも後悔や困難はある。自分の選択の結果をどう捉えるかは自分の考え方次第です。

誰も言わない足が太くなる本当の原因

私はいわゆる骨格ウェーブ体形で、上半身に比較して足が太いのがコンプレックスなんですが、足が太いか細いかってある重大な要素が関係していると思うんです。しかし世の中にあふれるダイエット情報などでは全くそれに触れられていないので、今日はその重大な要素についての話をしたいと思います。

肥満ではないけれど足が太くなる原因は血圧が低いから

低血圧の人って手足などの末端の血管の収縮力が弱いので血液の循環が悪く、心臓から遠い脚の血液が戻りにくい為、慢性的に脚がむくんでいる状態になりやすいです。

むくみというとよくお酒を飲んだ翌日に足がパンパンになったとか、非日常の中の異常事態としてはっきりと自覚する形でしか認識されにくいのですが、低血圧の人は日ごろからいつでも血液の循環が悪いために慢性的にむくみがおきており自覚症状も乏しく、足が太いのは脂肪のせいだと思って肥満ではないのにダイエットを行い、顔はコケているのに脚は痩せないというような状態に陥りやすいです。

過激なダイエットで栄養バランスが乱れ、貧血や栄養不足などから余計にむくみが加速する悪循環にもなりかねません。

低血圧の自覚症状

高血圧は危険なものとして注意されやすいのですが、逆に低血圧はお医者さんは何もいいません。

私の場合は虐待を受けて育っているので小さなころから様々な心身の不具合が起きており、病院で診てもらったところ自律神経失調症や不安神経症などと診断されており、ストレスが強くなる環境下ではパニック障害も起きています。病院での検査では特に安静時の血圧や心拍数が異常に低いと医者に驚かれました。

具体的な症状としては起立性のめまいや、不眠、倦怠感、頭痛、動悸、不安感など様々です。末端冷え性で手足がひどく冷たい状態にもなりやすいです。

血圧とは心臓が血液を押し出す力の数値のことで、私はストレス過多の環境下で心臓が弱いという自覚があります。

外出や運動などの日常ではそこまで低血圧の数値がでていなくても、寝ている時やリラックスしている時は異常に血圧が低いという隠れ低血圧の状態です。

低血圧の人は食欲不振の人が多いです。慢性的なむくみは皮下脂肪にリンパ液などが湿潤している状態なので「食べないのに太る」と感じている人は本当に存在します。

メタボリックシンドロームで問題視される塩分や脂質、糖質のとりすぎによる内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)とは全く別の機序です。ちなみにリンゴ型肥満と高血圧は高い関係性があり、お腹は出ているのに脚は細いという人が多いです。

低血圧を改善するには

・塩分、鉄分、タンパク質など栄養をしっかり摂取する。

特に腎臓が悪い高血圧の人にとっては塩分は危険なものですが、食欲不振で小食な低血圧の人は食生活で塩分が不足している可能性があります。

特に起立性めまいは体重減少と関連性が高いとも言われているので、食欲不振で食べていないのに太ると感じている低血圧タイプの人は、食べないダイエットはやめて栄養バランスの整った食事をとることを意識したほうがいいです。

タンパク質は筋肉のもとになる為血液のポンプ機能にとても重要です。

・ウォーキングなどの有酸素運動

ダイエットで有酸素運動に効果を感じないという人と数日で大きな効果を感じるという人がいますが、おそらく低血圧で血液の循環が悪いむくみがある人ほど有酸素運動の効果を高く感じるのではないかと思います。歩くことでふくらはぎの筋肉が刺激されポンプ機能が働くので脚のむくみが改善されやすいです。脂肪燃焼というよりはむくみ改善の為に有酸素運動は有効です。

・水分の摂取とカフェインのとり方の工夫

日常的には白湯や水、麦茶等、カフェインの含まれていない飲み物を飲むようにした方がいいです。カフェインというとコーヒーばかりに気をとられがちですが、緑茶や紅茶、ジャスミンティー、ウーロン茶など知らず知らずにカフェインを過剰摂取してしまっているかもしれません。カフェインは利尿効果がありますが、過剰摂取によって必要なミネラルや塩分が排泄されてしまいより低血圧になる可能性があります。

また水分不足も血液のポンプ機能が低下するので低血圧につながりやすいです(逆に腎臓機能の低下から高血圧になるのは腎臓が水分の排泄をうまくできなくなるため)。食欲不振の低血圧タイプの人は食事からとれる水分量も少ないです。カフェインの含まれていないものをこまめにしっかりとりましょう。

しかし絶対にカフェインがダメというわけではなく、午前中や食事の後に無糖のコーヒーを一杯だけなど工夫することで、交感神経を刺激したり、ドーパミンの効きをよくしてくれたりするので、工夫して取り入れることで生活リズムを整えることができますのでお勧めです。

・体を温めて血流を改善

手足や首などを温めることで自律神経が整うそうです。有酸素運動もそうですが、ぬるめの湯舟にしっかり浸かることもとても良いです。熱いお風呂やサウナなどでは心臓に負担がかかり、めまいで倒れることがあるので注意しましょう。

・加圧ソックスを履く

安静時や寝ている時などに加圧ソックスを取り入れることで脚のむくみが大幅に改善されます。手軽な市販品やサイズの適合しないものなど間違ったものを使用して体調が悪くなったりする人もいるようなので、医療用のものをサイズを測ってから購入することをお勧めします。膝回りなどが明らかに変わるので、ひざ下だけでなく太ももまであるタイプがいいと思います。

 

そもそも血圧の高い低いは遺伝的な要素が強いです(本態性高血圧/本態性低血圧)。また、気質が怒りっぽくていつもカッカしている人は高血圧になりやすく、低血圧の人は抑圧傾向が強いです。

人と比べて落ち込んだり、極端な結果を期待するのではなく、生まれ持った特性の一つとしてある程度受け入れる気持ちも必要かもしれません。

 


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色々使ってきてはいるのですが、今のところ↑これが一番お気に入りです。加圧も中程度で強すぎないし、太もものところに滑り止めがついているので寝ている時の着用ではクルクルにならずにちゃんと履いていられる。見た目はちょっとダサいですけど笑。息子に牛の乳みたいとか言われましたけど笑

なぜ彼女は死んでしまったのか

ドラマ「セクシー田中さん」の原作者の漫画家芦原妃名子さんが自殺してしまったことで、一連の騒動が連日のように報道されています。

発端となった「原作者無視のドラマ制作や映画製作側の奢り」とか「出版社の横暴」とかそういう話が主軸になりがちですが、勿論そういう問題は私自身もいつも感じていたことで、何故原作者が一から丁寧に作り上げた作品を使わせてもらう側が素直にリスペクトできないのか。何故わざわざ改悪するのか。エゴが抑制できないのなら原作に頼らず自分自身で一から作り上げるべきではないのか。もしも改変したいのであれば何故そうしたいのか真摯に話し合って原作者の理解を得てからにするべきではないのか。など、色々と思うことはあります。

そして彼女が勇気をもって声を上げたことを無下にしない為にも、そこのところは是非しっかりと話し合って正すべきことは正していかなければならないとも思います。

 

でも思うんですよね。自衛隊の性暴力を受けた被害を訴えた五ノ井里奈さんの件でも思うんですが、顔を出して名前を出して世間に被害を訴えなければ物事が改善されないというこのくそバカ共の世の中はいったい何なの?って。

ここまでの代償を払わなければ間違った人間は野放しにされ続けるだけなの?誹謗中傷や攻撃を受けながらズタボロになって、誰かが自殺するまで追い詰められなければ世の中は変わらないの?

ものすげーくだらないことを仕出かす馬鹿に、お前それ人を苦しめてるからやめろなってやめさせることがそんなにも罪なの?

そもそもなんでそんな馬鹿なの?ちょっと考えればわかるようなことがなんでわからないの?脳みそ腐ってんの?

原始的な人間のもつ善悪の価値観について

ニーチェが「道徳の系譜」で指摘する通り、現在において普遍的と思われている「善」や「悪」の価値観は、実は立場や利害によってコロコロと変わる、自身の立場を優位にする、或いは誇示する為の武器でしかなく、古代においては「善=支配者/勝者」であり「悪=被支配者層/敗者」そのものでした。

その原始的な思考回路から抜け出ていない人間の集まりにおいては、経済強者や権力者はどのような浅ましい傲慢なふるまいをしても「正しい」のであり、経済弱者や弱い者はそれに服従するべきで、逆らうことは許されないという思い込みがあるように思うんです。

自分たちの「傲慢さ」や「横暴」や「自分勝手」や「強欲」が許されることで、自分は権力者であると強く感じることが出来、そういう「正しさ」が過ちを認めることはすなわち敗北することで、強者の位から失墜することになると思い込んでいるのでは。

裸の王様が裸で練り歩いて恥をさらし続けることそのものよりも、「あなたは裸(バカ)である」と指摘する方が悪いのか?

私には分かりません。そもそも私には「支配者」も「権力者」「立場が上の人」も居ない。

一番の問題は問題そのものを冷静に話し合い改善する土壌が無いこと

横暴が許されることが権力の証だと考える馬鹿や、それに阿る阿呆、そういう価値観を共有する社会であり続ける限り、その被害にあう人は泣き寝入りするかズタボロになって声を上げるかしかないんですよね。

そうやって何かが少し前進することがあったとしても、根本的な社会の認知の歪みがある限りいくらでも酷い目に遭わされる人が出続ける。木村花さんの件にしても、五ノ井里奈さんの件にしても、伊藤詩織さんの件にしても、ジャニーズの件にしても、今回の芦原妃名子さんの件にしても、個々の事件は別々の案件であったとしても、根本的なところは同じところから起きていると思うんです。

「権力者」「権威あるもの」の悪を糾弾することは許されないという非常に原始的で野蛮な人間の認知の歪み。

浅ましい言動を行う「権力者」よりも、その権力者の権威を失墜させる者の方が許されないという愚かな人間の認知の歪み。

それが人間社会の生きづらさの根本原因の一つじゃないかと思います。