地底海に眠る

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ヒーロー願望が強すぎる人。

人間にはいろいろなタイプの人がいますが、人との関わりに消極的な人もいれば、人との関わりに積極的な人もいます。積極的に人と関わることを望み群れを好むタイプの中には、人に尽くしたり、人を助けたりすることが生きがいのいわゆる「ヒーロー願望」が強いタイプの人もいます。

ヒーローというと男性のみという感じですが、実は女性にも多く、例えばアルコール依存症のパートナーに「この人は私がいなければダメだから」と何もかも面倒みて尽くし続ける共依存タイプなどもこのヒーロー願望が強すぎるタイプの一つです。

男性だと弱い女性を守り救うことが恋愛の基本姿勢になりやすく、そうした欲求を満たしてくれるような女性を恋愛対象とします。

自己有用感を感じたい

ヒーロー願望が強い人というのは、コミュニティや関係性の中で自分が他者から価値があるとみられたい、自分の価値を実感したいという欲望や虚栄心が強いです。感謝されたり称賛されることで自尊心が満たされ、その集団の中で自分の居場所があることに安心します。

確かに社会への貢献による自己有用感というのは健全なものであればよいものですが、ヒーロー願望が強すぎる人の場合、何十万ものプレゼントを大盤振る舞いしたり、居酒屋で何十人もの人に意味もなく奢ったりなど、金銭感覚や距離感がおかしい、必要性に乏しい、逸脱した振る舞いを行う人も。

経済的に豊であればまだしも、中にはそのために貯金もできないとか、外では大盤振る舞いだが家庭の金はケチるとか、借金まみれだったり、酷いものでは会社の金を着服していた、などというケースまで。

たまたま本当に困っている人に適切な手を差し伸べているのではなく、人に金銭やものを配ったり、本来必要の無い尽くし行動で無理やり自己有用感や承認欲求、虚栄心を満たしているんですね。

そのような金銭や物の大盤振る舞いや、過剰な尽くしを行う人というのは、金品目当ての卑しい人間や、心の隙をついて奉仕を搾取しようとする悪い男女に付け込まれやすいです。気が付いたら周りは善悪の区別もつかない物欲の強いイエスマンばかりでコミュニティにモラルの感覚が欠落し逸脱行為に加速しやすかったり、良い人間関係が築けず生きづらさをかかえることになってしまったりしがちです。

ヒーロー願望が強すぎる男女の恋愛の困難

女性のヒーロー願望の典型的な例がアルコール依存症の夫と献身的な妻の関係性の問題から名づけられた「共依存」です。妻がアルコール依存症で問題を起こし続ける夫に対して献身的に世話をし尻ぬぐいをすることが、夫が自分の責任を負うことを肩代わりしてしまうため、自分のやらかしたことの結果に向かい合う機会が妻によって奪われるので、夫は妻に依存して問題行動が治まらない。

妻は夫に尽くすことが無意識の自己有用感や他人軸の自己価値、また自分が苦労しているとか、努力しているという感覚が自己憐憫や自己満足にもなっているので、そうした関係性に執着してしまう。

そういう悪い関係性で悪循環に陥っているものを「共依存」といいます。

 

男性のヒーロー願望の典型的な恋愛パターンは、悲劇のヒロインを見つけてその女性を自分が救い、感謝されたり褒められたりすることで男としての性的な承認欲求を満たしたり、虚栄心や、自己有用感を感じたいというものです。

男性が一途に一人の女性に尽くす恋愛というのは円満なカップルになりやすく、健全なものであればそれほど悪いことでもないのかもしれませんが、「強すぎる」場合には、女性が「可哀そう」でなくなった途端に興味が薄くなってしまうとか、事件にもなった「おぢ狩り」のような結婚詐欺(同情をひいて金銭を搾取する)に付け込まれやすかったりと良い恋愛が出来ません。

悪女というのは男性のヒーロー願望を利用するのが大変うまいです。「本当はやりたくなかったんだけど…」とか「私はもういいの」(自分でやらかしたことを他人のせいにして、自己正当化し自己憐憫して問題の責任を放棄する)などと可哀そうな女性を装って、男性のヒーロー願望を刺激し甘えて、何かしてもらったら大げさに感謝して男性の承認欲求を満たします。そうやって男性に色仕掛けと手練手管で性的な承認欲求を満たし社会的にのし上がっていく女性というのも少なくありません。

ヒーロー願望の強い男性は恋愛において「可哀そうな女性」を救うことが目的になりやすいので、いざ付き合ったり結婚したりして「もう可哀そうじゃなくなる」と承認欲求が満たされずに退屈に感じだします。そういう時にパートナーから男性を略奪することで相対的に女としての価値観を感じたいタイプの女性に上記のように頼られたり甘えられたりすると、パートナーが満たしてくれなくなったヒーロー願望が強く刺激されるので簡単に浮気や不倫に走りやすいです。

ヒーロー願望がありながらも目的は健全な他者への貢献の気持ちではなく誇大妄想や虚栄心なので、自分の欲望を優先してしまうのです。しかも責められると望むようなヒーローにはなれないですから猶更意固地になってしまいます。「彼女はこんなに可哀そうな人で、俺は正しいことをしているんだ。俺の偉大さを理解しないパートナーなどもう要らない」と、自称ヒーローのはずが客観的に見たらパートナーを不幸にしているのは自分であることにも気付けません。

健全な精神的自立がなければ人間関係は腐る

世の中そうそう「可哀そうな人」は転がっていませんから、強いヒーロー願望というのはそうやすやすとは満たすことが出来ません。自分はヒーローであるという誇大妄想、行き過ぎた自己有用感の追求は、人間関係において決してプラスには働きません。

目の前の人は本当に困っている「可哀そうな人」でしょうか?

自分のやっていることは本当に「人助け」でしょうか?

本当は見たいものを見ているだけ、自分の欲望を満たす為に暴走しているだけなのかもしれません。

世の中確かに助け合いの精神、ギバーの精神というのはとても大切です。しかし助け合うとしても、人はお互いに精神的に自立していなければ、人間関係は腐ってしまうのです。